たじまもり〔たぢまもり〕【田道間守】
田道間守
(タジマモリ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 08:54 UTC 版)
田道間守(たじまもり/たぢまもり)は、記紀に伝わる古代日本の人物。
- ^ 川口謙二『東京美術選書23続神々の系図』(東京美術、1980年)p.95.
- ^ “余録:「常世の国」は日本の古代人が…”. 毎日新聞. 2021年11月25日閲覧。
- ^ a b 浜本年弘(2014年4月20日). “菓子祭前日祭:新庁舎に「甘〜く」花添え−−豊岡”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b 「ときじくのかくのみ」とは、「時期を定めずいつも(トキジク)輝く(カク)実」の意味で、いつも黄金色に輝く橘の実を表す(『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年(ジャパンナレッジ版)、p. 335)。
- ^ 『日本書紀』景行天皇即位前紀では、垂仁天皇崩御年を99年2月とする。
- ^ a b 田道間守(国史).
- ^ 田道間守(古代氏族) & 2010年.
- ^ 18/4063、18/4111、18/4112、(山口大学「万葉集検索システム」)。
- ^ 『新編日本古典文学全集 9 萬葉集 (4)』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、pp. 242, 268-270。
- ^ a b 「菅原伏見東陵」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』 平凡社、1981年。
- ^ 『宮内庁書陵部陵墓地形図集成』 学生社、1999年、巻末の「歴代順陵墓等一覧」表。
- ^ a b 石田茂輔「菅原伏見東陵(垂仁天皇項目内)」『国史大辞典』 吉川弘文館。
- ^ a b 今尾文昭『ヤマト政権の一大勢力 佐紀古墳群(シリーズ「遺跡を学ぶ」093)』 新泉社、2014年、pp. 82-84。
- ^ 『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年(ジャパンナレッジ版)、pp. 335-337。
- ^ 『新編日本古典文学全集 1 古事記』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、p. 211。
- ^ 古市晃「記紀・風土記にみる交通」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 2 旅と交易』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01729-9 P4-8
- ^ 『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』 角川書店、1988年、pp. 35-36。
- ^ “菓祖 田道間守ものがたり”. とよおかスイーツギャラリー. 2021年10月14日閲覧。
タジマモリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/29 20:36 UTC 版)
垂仁天皇の代にタジマモリ(多遅麻毛理、田道間守)が海外使節の役職を担った人物として記録されている。記紀によればタジマモリはサキツミミ(前津耳、前津見)の子孫で神功皇后に連なる葛城之高額比売の祖とされている。タジマモリの祖先や子孫に関係すると思われる但馬国の神社を本居宣長は次のように上げている。「前津見(サキツミ)」に「佐伎都比古阿流知命(サキツヒコ)神社(但馬国養父郡)」、「多遅摩母呂須玖(モロスク)」に「諸杉(モロスギ)神社(但馬国出石郡)」、「多遅摩斐泥(ヒネ)」に「日出(ヒデ)神社(但馬国出石郡)」あるいは「比遅(ヒジ)神社(但馬国出石郡)」、多遅麻毛理(モリ)に「杜内(モリウチ)神社(但馬国養父郡)」、酢鹿之諸男(スガノモロオ)に「須加(スガ)神社(但馬国二方郡)」などである。
※この「タジマモリ」の解説は、「モリ (称号)」の解説の一部です。
「タジマモリ」を含む「モリ (称号)」の記事については、「モリ (称号)」の概要を参照ください。
- タジマモリのページへのリンク