タウベルト
今日、日本でタウベルトの名は「タウベルトの子守唄」と呼ばれる子ども向けの歌曲によってかろうじて知られている。1830年代の半ばに出版された《歌曲集》作品27の第5番「子守唄」は、大正時代に大衆歌の一つとして日本語の歌詞と共に紹介され、以後今日まで合唱や重唱で歌い継がれている愛唱歌である。しかし、そのタウベルトについて知る人は殆どいない。 1811年3月23日、ヴィルヘルム・タウベルトはベルリンに誕生した。父は軍事関係の事務職にあったが、以前連隊の楽団に所属していたことがあり、ヴィルヘルムは父の所有していたフルートを吹いて幼い時分より音楽に親しんでいたという。ピアノのレッスンを受け始めたのは8歳の頃からで、最初の教師は後にベルリン大聖堂の合唱隊長となる作曲家アウグスト・ナイトハルト(1793~1861)だった。ピアノを始めた後もフルートとヴァイオリンの練習を怠らなかった。12歳の時にタウベルトはベルリンの著名な作曲家・ピアニスト、ルードヴィヒ・ベルガー(1777~1839)の門を叩く。
ドイツの指揮者、作曲家、ピアニスト。初期の歌曲集や器楽の小品がメンデルスゾーンの目に留まり、文通するようになる。歌曲は300を数え、オペラや交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノのための6曲のソナタのほか、数多くのピアノ用小品を作曲した。
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