ソ連軍の戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 14:59 UTC 版)
「ヤッシー=キシニョフ攻勢」の記事における「ソ連軍の戦略」の解説
ソ連軍最高司令部の作戦計画は第2、第3ウクライナ方面軍によるドイツ、ルーマニア両軍の両翼包囲を基本方針としていた。 第2ウクライナ方面軍はヤシ北部を突破後、ドイツ第6軍が退却する前に自動車化部隊によってプルト川渡河点を占領する。その後、第6戦車軍がシレト川渡河点と、シレト川とドナウ河の間を結ぶフォクシャニ・ギャップを占領することになっていた。 第3ウクライナ方面軍はティラスポリ近傍のドニエストル河橋頭堡から攻撃を開始後、北へ向けて自動車化部隊を投入、第2ウクライナ方面軍の自動車化部隊との接触を図る。これによってドイツ軍をキシナウ周辺で包囲することになっていた。 包囲に成功した後、第6戦車軍と第4親衛機械化軍団はブカレストと、ドイツ軍の石油供給の中核だったプロイェシュティ油田へ進撃することになっていた。
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