ソマリア独立と内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:39 UTC 版)
1960年にソマリアが独立すると、バイドアはバイドア地区(英語版)の行政中心地となった。 ソマリアでは1990年代に内戦が勃発する。バイドアは1995年9月、内戦初期に力を持っていた軍閥、統一ソマリ会議の支配下となる。 1996年1月、バイドアは別の軍閥ラハンウェイン抵抗軍の支配下となった。1999年にラハンウェイン抵抗軍は支配地域を大きく広げたため、バイドアの重要性も非常に増した。2002年、ラハンウェイン抵抗軍のリーダーハサン・ムハマド・ヌール・シャティガドゥド(英語版)は、ラハンウェイン抵抗軍の支配地域の独立を宣言し、南西ソマリアと名乗った。バイドアは南西ソマリアの首都とされた。南西ソマリアの独立は、2000年に設立された暫定国民政府に対する反対運動でもあった。 2004年11月、南西ソマリア「大統領」のシャティガドゥドは、ソマリア暫定連邦政府への参加を表明。もっとも、この時点ではソマリア暫定連邦政府の拠点はソマリア国外であるケニアのナイロビにあった。 2005年1月にシャティガドゥドは暫定連邦政府の財務長官に任命され、それと共に南西ソマリアの解体が正式に決まった。さらに、バイドアはジョハールと共に、暫定連邦政府の臨時本拠地の候補となった。当初はジョハールに本拠地が置かれたが、バイドアの空港設備や運河などが強化され、その後にバイドアに移された。
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