1988年ソウルオリンピック
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1988年ソウルオリンピック(1988ねんソウルオリンピック)は、1988年(昭和63年)9月17日から10月2日までの16日間にわたって韓国の首都・ソウルで開催されたオリンピック競技大会。一般的にソウルオリンピックと呼称されることもある。初めて選手宣誓を男女が行った大会でもあった[1]。昭和時代に開催された最後の夏季オリンピックである。
注釈
- ^ 1964年の東京五輪時にも統一チーム構想があったが様々な面で折り合いがつかず実現に至らなかった[3]。1980年モスクワ五輪時には北朝鮮側から、今次ロス五輪時には1981年時点で韓国側からそれぞれ提案したが、いずれも決裂した[3]。
- ^ 1978年発生。この後、両名とも1986年に自力で米国に亡命し、1999年に韓国に帰国。それぞれ本人の項目及び北朝鮮による韓国人拉致問題等を参照。
- ^ 1980年に北朝鮮最高指導者金日成主席が、朝鮮半島の赤化統一構想として高麗民主連邦共和国を韓国に提唱している。
- ^ 1980年に反共法と統合。
- ^ 東独は西独との再統一を果たし、ソ連は1992年のアルベールビル五輪(冬季)およびバルセロナ五輪(夏季)では、バルト三国を除く12国が独立国家共同体(CISもしくはEUN)として参加することとなる。
出典
- ^ “東京五輪選手宣誓「ジェンダー平等の推進」男女2人で 主将&副主将担当か”. 日刊スポーツ (2021年5月26日). 2021年5月26日閲覧。
- ^ 朴世直『ドキュメント ソウル五輪(上)』潮出版社、1991年、p96
- ^ a b c d e f g (藤原 1988, p. 34)
- ^ (藤原 1988, pp. 34–35)
- ^ a b c d e f g (藤原 1988, p. 35)
- ^ a b c d e f g (藤原 1988, p. 36)
- ^ (藤原 1988, pp. 36–37)
- ^ (藤原 1988, p. 44)
- ^ a b c d e f (藤原 1988, p. 37)
- ^ (藤原 1988, pp. 38–39)
- ^ a b (藤原 1988, p. 38)
- ^ a b (藤原 1988, p. 39)
- ^ a b c d e (藤原 1988, p. 40)
- ^ a b c (藤原 1988, p. 41)
- ^ (藤原 1988, p. 43)
- ^ 前掲『ドキュメント ソウル五輪(上)』p68~80
- ^ 金雲龍『偉大なるオリンピック』ベースボールマガジン社、1989年、p70~85
- ^ “ソウル五輪でIOC会長は南北開催提案…外交文書”. 産経新聞. (2019年3月31日) 2020年10月6日閲覧。
- ^ 손에 손잡고 YouTube、2018年12月6日閲覧
- ^ Koreana - Hand In Hand (Korean version "Son-e Son Japgo) - Official Olympic Song, Seoul, 1988. YouTube、2018年12月10日閲覧
- ^ 小川勝『オリンピックと商業主義』集英社新書、2012年、p146~153
- ^ “NBCユニバーサル、32年までの五輪放映権を獲得”. ウォール・ストリート・ジャーナル (2014年5月8日). 2016年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月11日閲覧。
- ^ “東京オリンピック2020|野球|競技紹介”. 朝日新聞デジタル. 2020年12月31日閲覧。
- ^ 前掲『ドキュメント ソウル五輪(上)』p211~214
- ^ “口パク、ハト焼死… 物議や話題呼んだ五輪開会式の演出あれこれ”. 毎日新聞. (2021年3月19日) 2021年3月19日閲覧。
- ^ The Worst Ever Opening Ceremonies. Time. (2012-7-27) 2021年3月19日閲覧。.
- ^ David Mamet (1988年10月7日). “In Losing, a Boxer Won”. ニューヨーク・タイムズ. 2013年12月16日閲覧。
- ^ GEORGE VECSEY (1997年9月26日). “Sports of The Times; Nice Gesture Substitutes For Justice”. ニューヨーク・タイムズ. 2013年12月16日閲覧。
- ^ “A Brief History of Olympic Sore Losers”. タイムズ (2012年3月9日). 2013年12月16日閲覧。
ソウルオリンピック
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「1988年のスポーツ」の記事における「ソウルオリンピック」の解説
男子シングルス 金:ミロスラフ・メチージュ(チェコスロバキア)、銀:ティム・メイヨット(アメリカ)、銅:ステファン・エドベリ(スウェーデン)/ブラッド・ギルバート(アメリカ) 女子シングルス 金:シュテフィ・グラフ(西ドイツ)、銀:ガブリエラ・サバティーニ(アルゼンチン)、銅:ジーナ・ガリソン(アメリカ)/マニュエラ・マレーバ・フラニエール(ブルガリア) 男子ダブルス 金:ケン・フラック&ロバート・セグソ(アメリカ)、銀:エミリオ・サンチェス&セルヒオ・カサル(スペイン)、銅:ステファン・エドベリ&アンダース・ヤリード(スウェーデン)/ミロスラフ・メチージュ&ミラン・シュレイバー(チェコスロバキア) 女子ダブルス 金:パム・シュライバー&ジーナ・ガリソン(アメリカ)、銀:ヘレナ・スコバ&ヤナ・ノボトナ(チェコスロバキア)、銅:シュテフィ・グラフ&クラウディア・コーデ=キルシュ(西ドイツ)/ウェンディ・ターンブル&エリザベス・スマイリー(オーストラリア) オリンピックのテニス競技にプロ選手の参加を認める決定がなされ、1924年パリ五輪以来64年ぶりにオリンピック競技としてのテニスが復活した。この大会では準決勝敗退選手(ペア)による銅メダル決定戦は行わず、両方に銅メダルを授与した。なお、混合ダブルス部門は復活していない。
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ソウルオリンピック(1988年)
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「ボクシング日本代表選手一覧」の記事における「ソウルオリンピック(1988年)」の解説
詳細は「1988年ソウルオリンピックのボクシング競技」を参照 1988年ソウルオリンピックには7名出場。 黒岩守(ライトフライ級) 瀬川設男(フライ級) 松島勝之(バンタム級) - 5位 山田渉(フェザー級) 東悟(ライト級) 三浦国宏(ライトウェルター級) 高橋良秋(ウェルター級)
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ソウルオリンピック(1988年)
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「ポール・エレング」の記事における「ソウルオリンピック(1988年)」の解説
ケニアのオリンピック選考会ではかろうじて3位でオリンピック出場を決める。急速に力をつけてきていたエレングであったが、ソウルオリンピックでは金メダルを取るとは誰も思っていなかった。しかし、準決勝で1分44秒55という記録を出すと、周囲は彼の実力を評価し始める。そして決勝レース。最終コーナーを回った段階で4位の位置にいたエレングは、最終のストレートで前にいた3人を抜き去り、金メダルを獲得。周囲も驚く金メダルを獲得した。
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