スペイン内戦とポーランド侵攻
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「海軍突撃歩兵中隊」の記事における「スペイン内戦とポーランド侵攻」の解説
スペイン内戦中の1939年9月、装甲艦「ドイッチュラント」よりヴァルター・シューク中尉率いるMSK小隊がイビサ島に上陸し、人民戦線軍の通信基地に対する攻撃を行ない、同基地の爆破に成功している。1939年3月には返還されたメーメルへの進駐にも参加し、新たな駐屯地となった同地では新たな中隊長ヴィルヘルム・ヘニングゼン中尉の指揮下で特殊任務の専門教育を受けた。ポーランド回廊を巡りドイツとポーランドとの緊張が高まると、MSKは練習艦「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」に搭乗して親善訪問という名目でポーランドへと向かった。1939年9月1日、ダンチヒ沖に停泊していた「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」はヴェステルプラッテに対する艦砲射撃を行った。この砲撃によってナチス・ドイツのポーランド侵攻が開始され、また同時に第二次世界大戦が勃発した。ヘニングゼン中尉に率いられたMSKはヴェステルプラッテの埠頭に上陸し、工兵隊と共に障害物を爆破しつつポーランド軍の要塞へと接近した。しかしMSK及び工兵隊は想定以上の激しい抵抗に直面し、6時22分には大打撃を受けた旨を報告してMSKは「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」に向けて撤退を開始した。ヘニングセン中尉もこの折に致命傷を負っている。正午までに撤退は完了したが、最終的に初日の戦いだけでも16人のMSK隊員が戦死し、120人が負傷した。以後も艦砲射撃や航空支援を受けつつ、ヴェステルプラッテに展開したMSK及び陸軍・警察・SSの部隊は要塞への攻撃を繰り返し、9月7日までにヴェステルプラッテは陥落した。
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