ストロガノフ伯爵家
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「ストロガノフ家」の記事における「ストロガノフ伯爵家」の解説
1700年から1721年まで大北方戦争の間、ストロガノフ家はピョートル1世(大帝)に対して巨額の財政資金を援助した。この功績により、アレクサンドル・グリゴリエヴィチ・ストロガノフ、ニコライ・グリゴリエヴィチ、セルゲイ・グリゴリエヴィチは、それぞれ1722年に男爵となり、その後、伯爵に陞爵した。以後、同家は帝政ロシアにおける権門としての地位を確立し、一門の人々は官職に多く就くこととなった。 セルゲイ・グリゴリエヴィチ(1707年 - 1756年)は、エリザヴェータ・ペトローヴナ女帝の治世に廷臣として重要な役割を演じた。 その子アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ストロガノフ (1733年 - 1811年)は、エカテリーナ2世時代の廷臣で、新たな法典編纂の委員であった。18世紀後半から19世紀初期に彼は、ロシア科学アカデミー総裁、公共図書館美術監督、国家評議会議員の要職にあった。 パーヴェル・アレクサンドロヴィチ・ストロガノフ (1772年 - 1817年)は、アレクサンドル1世の「若き友人」の一人で、アレクサンドルの治世初期の秘密委員会のメンバーとして改革案を作った。後に内務次官。 セルゲイ・グリゴリエヴィチ・ストロガノフ(1794年 - 1882年)は、1859年から1860年までモスクワ総督。1825年モスクワ芸術産業大学を創設している。 アレクサンドル・グリゴリエヴィチ・ストロガノフは1839年から1841年まで 内務大臣を勤めた後、国家評議会議員を1849年まで勤めた。 ストロガノフ家の大部分の一族は、芸術、文学、歴史および考古学に関心を示したことが良く知られている。彼らは、自分自身の膨大な蔵書、絵画、コイン、メダルのコレクションを収集したほか、美術館としてストロガノフ家の邸宅が割り当てられた。特に有名なものが現在、国立ロシア美術館を構成する建物のうちの1つ、サンクトペテルブルクのストロガノフ宮殿である。
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