シティーとボストン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/06 17:44 UTC 版)
「バンク・オブ・ニューヨーク」の記事における「シティーとボストン」の解説
1784年の6月9日、ロウアーマンハッタンで開業。アメリカ独立戦争が終結してからわずか数ヶ月後のことである。1789年に20万ドルの米国債を発行した。1792年、ニューヨーク証券取引所開設とともに上場した。アーロン・バーのマンハッタン銀行ができるまでは銀行業を独占した。1822年一気に増資をしたが、さらにロンドンの2行から25万ドルを借りて国外での信用を固めた。南北戦争では軍資金を供給するシ団の幹事となった。1863年に国法銀行法が成立して、ニューヨーク銀行は1865年に国法銀行となった。流動資産をがっちりと握って離さない保守的な経営が、1873年恐慌でもニューヨーク銀行の安泰を守った。 19世紀の経営陣は家柄が良く、重役のバード(George H. Byrd)もその一人であった。そこへ1901年1月15日にボストン・キダー(Kidder, Peabody & Co.)出身のグリッグズ(Herbert L. Griggs)がバードを押し出す形で社長へ就任した。数年で重役の定員を増やすことになり、バードは戻ってきた。このころ新たに経営者となった有名人が二人いる。一人はジョージ・ライヴス。彼はジョン・キーン(John Kean)の長女(Caroline Morris Kean)と結婚することで、マンハッタン銀行社長(Caleb O. Halsted)と姻戚になった。もう一人がブラウン兄弟会社(現ブラウン・ブラザーズ・ハリマン)のパートナーであった(John Crosby Brown)。
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