サウンズ・オブ・セトとは? わかりやすく解説

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土佐丸

(サウンズ・オブ・セト から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 18:58 UTC 版)

土佐丸(とさまる)は、日本国有鉄道四国総局宇高船舶管理部(宇高航路)に在籍した客載車両渡船。船名符字JQDH。


  1. ^ a b c 「JR年表」『JR気動車客車編成表 90年版』ジェー・アール・アール、1990年8月1日、175頁。ISBN 4-88283-111-2 
  2. ^ 『鉄道連絡船100年の航跡』202頁。
  3. ^ 『宇高連絡船78年の歩み』121、338頁。
  4. ^ 日本客船のデッキプラン サウンズ・オブ・セト - クルーズ&フェリー学会


「土佐丸」の続きの解説一覧

サウンズ・オブ・セト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 22:46 UTC 版)

マリンパーク境ガ浜」の記事における「サウンズ・オブ・セト」の解説

当時国最大規模(5,167t) のレストランクルーズ船。元々この船は国鉄宇高連絡船土佐丸」(1966年建造)で、1988年航路廃止に伴い常石造船買い取りクルーズ船に大改造された。「しまなみロマンチッククルージング」として、当初は境ガ浜から瀬戸内海島々巡り塩飽諸島与島を結ぶ航路だったが、前述理由によりここでは客が少なかったため、尾道西御所岸壁出港し境ガ浜を経由多々羅大橋の下をくぐりしまなみ海道をめぐり尾道へと帰港する航路となった船上映画館にて尾道舞台とした映画あの、夏の日」を先行公開1999年5月2日)したりもしている。その後尾道からの航路客足伸びず、チャータークルーズとして全国にかり出されるうになる1999年10月営業停止その後インドネシア船会社売却されMABUHAY NUSANTARAという名称となったちなみに1995年阪神・淡路大震災のとき、常石造船の子会社甲子園高速フェリーとの関係から救済に向かうこととなり、津名港淡路島)に停泊し避難宿泊施設として使用宿泊延べ500人、風呂利用者5,000人)された。

※この「サウンズ・オブ・セト」の解説は、「マリンパーク境ガ浜」の解説の一部です。
「サウンズ・オブ・セト」を含む「マリンパーク境ガ浜」の記事については、「マリンパーク境ガ浜」の概要を参照ください。

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