コージブスキーと be 動詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 01:19 UTC 版)
「アルフレッド・コージブスキー」の記事における「コージブスキーと be 動詞」の解説
コージブスキーの支持者と批判者が注目したのは、一般意味論の体系全体ではなく、コージブスキーが be 動詞について言った単純な問題である。しかし、一般意味論がベースとしているのは「抽象化の段階」の違いとか「抽象過程への自覚」の定式化などである。コージブスキーは be 動詞の使用に反対したとよく言われているが、それには不幸な誇張がある。彼は同一性を示す be 動詞や断定の be 動詞が構造的に問題があると考えていた。例えば、"Joe is a fool."(ジョーは馬鹿だ)という文である。コージブスキーの体系では、ジョーに対する他人の評価はジョー自身よりも高い抽象性を持つ。コージブスキーの対応策は同一性を否定することである。例えば、先の例では、「ジョー」は我々が彼を「そう呼ぶもの」では「ない」ということを常に意識すべきであると言う。我々は言葉の領域(単語の世界)ではなく、言葉以外の領域でジョーを見出す(コージブスキーによれば、ふたつの領域は抽象の段階が異なる)。 これを表すコージブスキーの最も有名な言葉が「地図は現地ではない」である。「地図は現地ではない」 (The map is not the territory) という文には be 動詞が "is not" という形で使われている。この例は彼が be 動詞を完全に破棄すべきものとは考えていなかったことを示している。実際、彼は助動詞としての用法や存在や位置を示すための用法には何の問題もないとしていた。be 動詞の問題のある使い方も、構造的な問題を意識した上で使うぶんには問題ない場合もある。
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