コムネノス王朝
コムネノス朝
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「東ローマ帝国の皇帝一覧」の記事における「コムネノス朝」の解説
詳細は「コムネノス王朝」を参照 肖像名称生年と誕生地在位期間即位背景没年 アレクシオス1世コムネノス Αλέξιος Α' Κομνηνός 1048年 1081年 - 1118年8月15日 イサキオス1世コムネノスの甥。内部では有力貴族の反乱が起こり、外部からはセルジューク朝やノルマン人に東西から侵攻を受け、内憂外患の状態にあった中で、反乱を起こしてニケフォロス3世ボタネイアテスを退位させ、自ら皇帝となった。 1118年8月15日 ヨハネス2世コムネノス“カロ・ヨハネス” (心美しきヨハネス) Ιωάννης Β' Κομνηνός o Καλος 1087年9月13日 1118年8月15日 - 1143年4月8日 アレクシオス1世コムネノスの子。1092年に共同皇帝となる。1118年、父の死により皇帝として即位。 1143年4月8日 マヌエル1世コムネノス“メガス” (偉大なる) Μανουήλ Α' Κομνηνός ο Μέγας 1118年11月28日 1143年4月8日 - 1180年9月24日 ヨハネス2世コムネノスと皇后エイレーネーの四男。長兄と次兄が1142年に相次いで早世し、三兄が暗愚であるということもあって、1143年の父の死後、皇位継承者として選ばれた。 1180年9月24日 アレクシオス2世コムネノス Αλέξιος B' Κομνηνός 1169年9月10日 1180年 - 1183年 マヌエル1世コムネノスと2番目の皇后マリアの子。父が死去したために後を継いで即位することとなったが、12歳という幼年であったため、政務は生母のマリアが摂政となって取り仕切ることとなった。 1183年10月 アンドロニコス1世コムネノス Ανδρόνικος Α' Κομνηνός 1123年 1183年 - 1185年 マヌエル1世コムネノスの従弟。摂政マリアが夫のマヌエルと同じく親ラテン政策を採用したため、国民の間から不満が高まるようになった。この不満を背景にクーデターを起こしてマリアを殺害し、1183年にはアレクシオス2世の共同皇帝となった。そして共同皇帝となってから2ヶ月後にはアレクシオスを殺害し、正帝に即位した。 1185年9月12日
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