キリシタン神社として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/06 17:17 UTC 版)
「山神神社 (新上五島町桐古里郷)」の記事における「キリシタン神社として」の解説
五島藩は安永元年(1772年)以降、 大村藩より約3,000名の百姓を開拓民として迎え入れた。寛政9年(1797年)、桐古里地区には大村藩外海地方黒崎より14名の潜伏キリシタンが移住している。当社はいつのころからかその子孫たちによって祀られ、現在でも例祭などの祭祀に氏子として参加する者のほとんどが、「カクレ」の門徒であるという。また、御神体には『バスチャン様』の御像を祀っていると伝えられる。『バスチャン様』とは16世紀から17世紀に、大村藩外海地方を中心にキリスト教を伝道した日本人伝道師であるが、実在の人物であるか定かではない。なお、この『バスチャン様』が残した数々のものの中に、「バスチャンの日繰り」がある。「バスチャンの日繰り」とは、1634年の太陰暦によるカトリックの教会暦であり、外海、五島の潜伏キリシタンはこの日繰りをもとに、「カクレ」の年間行事を今日まで維持している。 なお、有福島に鎮座する『頭子神社』も、「キリシタン神社」と認められている。
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