キャムデンの戦い
キャムデンの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/21 03:55 UTC 版)
「グリフィス・ラザフォード」の記事における「キャムデンの戦い」の解説
詳細は「キャムデンの戦い」を参照 サバンナとチャールストンを失い、ワックスホーの戦いで敗北したことで、南部の大陸軍は事実上駆逐されていた。州の守りを担当するのは、地方の指揮官が率いるゲリラ的な多くの民兵中隊のレベルになっていた。軍隊が居なくなったことに反応した大陸会議は、サラトガで功績を挙げたホレイショ・ゲイツ将軍を派遣し、シャーロットで大陸軍を立て直させた。ゲイツはその士官達の助言に逆らい、またその部隊の実力を知ることもなく(まだ戦闘で試してもいなかった)、7月27日に4,000名以上の部隊を率いてサウスカロライナに進軍した。ゲイツは交差点の町キャムデンを占領するつもりだった。ここを抑えればサウスカロライナの後背地を支配する戦略的な地点を掴むことになるはずだった。そこに1,000名の兵士と共に駐屯していたロードン卿は8月9日にチャールズ・コーンウォリス将軍にゲイツ軍の動きを伝えた。コーンウォリスは8月13日までに援兵を率いてキャムデンに到着し、イギリス軍の勢力は2,000名以上になった。 戦闘は8月16日夜明けに起きた。ラザフォードは他のノースカロライナ民兵隊と共に大陸軍の中央に陣取った。この戦闘の間にラザフォードは負傷し、イギリス軍の捕虜になった。その後フロリダのセントオーガスティンにあるサンマルコス砦で10か月間拘束され、1781年に捕虜交換で釈放された。
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