イギリス軍の南部への転戦: 1778年–1783年
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詳細は「南部戦線 (アメリカ独立戦争), アメリカ独立戦争の海軍作戦行動」を参照 アメリカでのイギリス軍の戦略は南部植民地の作戦に移行した。使える正規兵が少ない中で、イギリス軍の指揮官は南部戦略を実現性のある作戦と見ていた。南部はロイヤリストの強い基盤があり、到着したばかりの貧しい移民や大勢のアフリカ系アメリカ人が自軍に付いてくれるという見込があった。 1778年12月遅く、イギリス軍はジョージア植民地のサバンナを占領した。1780年にはサウスカロライナのチャールストンを包囲し占領した。キャムデンの戦いで大勝したことで、イギリス軍はジョージアとサウスカロライナの大半を支配することになった。イギリスは内陸に一連の砦網を構築し、ロイヤリストがその旗の下に集まってくれることを期待していた。サラトガでの敗戦にも拘わらず、イギリス軍は再度優勢になったように見えた。10邦の独立も検討された(南部3邦はイギリス支配に留まる案)。 しかし、十分なロイヤリストは集まらず、イギリス軍は活路を求めて北のノースカロライナ、さらにバージニアに侵攻したが、その勢力を落としていった。既に占領したはずの領土の大半は、ロイヤリストの部隊とアメリカ人部隊の間で戦われたゲリラ戦の中で混乱状態に移り、イギリス軍の獲得していたものの多くが無効になっていった。
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