キャプテン・キッドとは?

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ウィリアム・キッド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/13 04:55 UTC 版)

(キャプテン・キッド から転送)

ウィリアム・キッド
縛り首になったキッド船長『海賊自身の書』から[1]

ウィリアム・キッドWilliam Kidd1645年?[2]/ 1655年ごろ[3] - 1701年[4])は、スコットランド生まれの私掠船海賊船の船長キャプテン・キッドの別名が広く知られている。

生涯

スコットランドのグリーノック[5]長老派牧師の息子として生まれた[6][3]。彼はブリガンティン船ブレスト・ウィリアム号を指揮して西インド諸島で私掠行為を行って名をはせていた[3]1691年キッドはロバート・カリファド英語版率いる反乱者によってアンティグアに置き去りにされた[3]。それから彼は、ニューヨークに向かいセアラ・オートと言う美女と結婚した[3]。その後商人になった[7]

1695年私掠免許を得るための活動をするためロンドンに向かった[7]。キッド自身に海賊たちについての詳しい知識があったため、ベラモント伯に政府の船の指揮官にするようにという提案を出してもらえた[8]。しかし理由は不明ながら、この提案は受け入れられなかった[8]。これを聞いたベラモント伯はキッドに船長を務めさせるために新しい船を自身の資金を使って建造し、委任状も自身で手に入れた[8](キッド自身も、アドヴェンチャー・ギャレー号の建造費用6000ポンドの内600ポンドを支払っていた[9])。アドヴェンチャー・ギャレー号は、287トンの船体で、34門の大砲と150人の乗員を持つ船であった[10]。キッドは海賊を捕らえていいという権限と、その過程で出会ったフランス船も拿捕していいという権限とを持ち1696年5月にプリムスを出航した[11][12]。その後マデイラ島に行ってワインや必需品を、ボナヴィスタでは塩を、セントヤーゴ島では食糧を積み込んだ[13]。そして1696年9月、海賊たちの巣窟マダガスカルを目指した[14]。そして1697年2月、マダガスカルに到着した[13]。しかし海賊たちは略奪に出ていて島にはいなかったためにマラバー海岸に向かい、6月に到着したがここでも成果はなかった[13]。その後、キッドは紅海ペリム島に到着して、海賊行為を行うことを乗組員に伝えた[15]。乗組員に反対者はいなかった[15]。キッドはイギリスとオランダの護衛艦に守られた船を発見して、それを襲った[16]。しかしキッドの船は護衛艦に勝てず撤退した[16]。その後海賊稼業を続けることにしたキッドは、マラバー海岸に行き小型船を襲ったがこの船は財宝を積んでいなかったためコーヒーと胡椒を略奪した後に船を解放した[16]

キッドはウィリアム・ムアという船員との間で口論となり、鉄で補強されたバケツでムアを殴りつけて、殺害した[17][18]。この事件を機にキッドは本格的に海賊行為を行っていくことになる[18]

1698年2月、キッドは総額71万ポンドの財宝を積んだケダー・マーチャント号英語版(Quedah Merchant)を発見し、略奪した[19]。キッドは、フランス国旗を揚げて接近した[20]


キッドはアドヴェンチャーギャリー号とケダー・マーチャント号を率いてサント・マリー島に到達する。この地で彼はかつてキッドの下で副船長として働いていたが、船を盗み海賊として活動しているロバート・カリファド(Robert Culliford)と彼が略奪したモカ号(Mocha Frigate)に出会う[21]。カリファドより多数の乗組員がいたキッドは襲撃を決意し、乗員に船を捕らえるように指令を出すが、乗員のほとんどが謀反を起こし、カリファドに合流してしまう[21]。18人の船員しかキッドの元に残らず、彼は国へ出発する[22]

キッドは、喜望峰を回るための風を5か月間待った。損壊していたアドヴェンチャー・ギャリー号を破棄しケダー・マーチャント号に乗り換えカリブ海に向かった[23]。西インド諸島のアングイラ島で自分が「東インドの疫病神」と言われていることを知ったキッドは、ベラモントの手を借りようとした[23][24]。彼はベラモントに連絡が取れるまでセント・トマス島の宿屋に泊まろうとしたが、お尋ね者であることを理由に宿泊を拒否された[23]エスパニョラ島の南東部の海岸にある川でケダー・マーチャント号を破棄した[23]。船体が大きすぎて目立ってしまうからだった[23]。その代わり財宝の一郎はスループ船に移され、残りはキッドが安全な状況になるまで見張りを立てて置かれた[23]。国王は、喜望峰東部からソコトラ島コーモリン岬までの海域で行われた海賊行為に対しては、1699年4月末までに自首すれはどんな罪であろうとその罪を免除するという布告を出した[25]。だだし、キッドとエイヴリー英語版だけは例外だった[25]ロング・アイランドに到着したキッドは、ベラモントに会うためボストンに行った(この時ベラモントは、キッドを誘き寄せるため偽物の歓迎の手紙を書いた)[23]。ボストンに着いたキッドはベラモントに裏切られ逮捕された[26]1700年4月、キッドはイギリスに連行された[27]

裁判

彼には自分の容疑をはらす機会は一度もなかったし、裁判が不利になるように検察や弁護側は行動した[28]。最終的に、彼は5つの海賊行為と殺人の罪で死刑となった[28]

遺体はタールを塗られ、散り散りにならないように鉄の輪をはめられた上で鉄の檻に入れられた[29]。海賊を志す者に対する警告としてテムズ川の絞首台に数年間放置された[30]。死後、彼を称えるバラッドが多数制作され、その一部は動画投稿サイトYouTubeで試聴可能である[31][32]

政争に巻き込まれた説

一般にはキッドは貴族らスポンサーを騙して出資を募り、それを元手に海賊行為を行っていたとされる。だが、ミュージアム・オブ・ロンドン・ドックランズで開催されている「海賊 キャプテン・キッド物語」では、キッドは富裕層の対立に巻き込まれたという見方を示している[33]。それによればキッドの怪しい事業はスポンサーの意思によるもので、それによって利益を脅かされると考えた東インド会社が裏で糸を引いてキッドを犯罪者に仕立て上げたという[34]。実際、キッドの裁判では彼の無実を示す証拠が紛失し、有利な証拠の提出が禁じられていた[35]

フィクションと財宝伝説

キッドは、逮捕される前にガーディナー島に財宝を埋蔵した[36]。現在でもその島に財宝が埋蔵されているとする人もいるが、財宝はベラモントの部下によって発見されている[37]。前述のようにキッドの財宝は発見されているが、その財宝が人々の予想に反してたったの約1万ポンドほどの価値だったため、当時の人々はまだ発見されていない財宝(最低でも5万ポンド分)がどこかにあるはずと推測した[38]。後にニューイングランドの入り江や小湾、アメリカの東海岸、西インド諸島の島々などが候補地とされ、隠し財宝の金額も増えていった[38]。さらに時代が下がると日本の南西諸島、アメリカの太平洋岸、フィリピンなどキッド自身が足を延ばしていない場所も隠し財宝の候補地に加えられた[38]


エドガー・アラン・ポーの『黄金虫』とロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』のうち前者は、キッドの財宝自体が登場し、後者に登場する「フリント船長の財宝」はキッドの財宝を想定した物と思われる[39]。米インディアナ大学のチームによって、ドミニカ共和国の保養地カサ・デ・カンポ沖にあるカタリーナ島近海で、ケダー・マーチャント号とみられる船が発見された(2007年12月13日発表)。そしてアドベンチャー・ギャリー号についても、サント・マリー島の近くの海底で財宝とともに発見したとバリー・クリフォード英語版が発表した[40]。しかしユネスコは後にこの主張を否定した[41]

日本トカラ列島に浮かぶ宝島も、キッドが財宝を隠したという言い伝えが残っている[42]

17世紀~18世紀の海賊たちに関してであるが、孤島、海浜などの環境下に財宝を隠したと言う話自体は事実だと思われる[38]。海賊たちの乗っていた船が島などに難破する(インド洋では船が難破する確率が非常に高かった)、あるいは、新たな略奪行為を行う際にすでに略奪してきた財宝を消費する場所がない場合に一時的に、という状況下では財宝を隠す行為も行われていたと考えられる[38]

1983年コーク・グラハム英語版とリチャード・ナイトは、キャプテン・キッドの埋蔵財宝を探索しにベトナムフーコック島に行った。ナイトとグラハムらは捕らえられて、ベトナムの領土への不法入国で有罪となり、それぞれに10,000ドルの罰金が科された。罰金を支払うまでの11週間、彼らは収監されていた。[43] 

出典

  1. ^ マーカス・レディカー(著)、和田光弘・小島崇・森丈夫・笹井俊和(訳)『海賊たちの黄金時代:アトランティック・ヒストリーの世界』2014年8月、ミネルヴァ書房、p193
  2. ^ キッド【William Kidd】 とは2017年2月11日閲覧
  3. ^ a b c d e デイヴィッド・コーディングリ『図説 海賊大全』p313
  4. ^ キッド【William Kidd】 とは2017年2月11日閲覧
  5. ^ 一説には、スコットランドの東部ダンディー ともいわれる(別枝、(1965)、p27)。
  6. ^ ゴス、(2010)、18
  7. ^ a b デイヴィッド・コーディングリ『図説海賊大全』p314
  8. ^ a b c チャールズ・ジョンソン『海賊列伝(下)』p138~p139
  9. ^ デイヴィッド・コーディングリ『図説 海賊大全』p315
  10. ^ デイヴィッド・コーディングリ『図説 海賊大全』2000年、p316~p317
  11. ^ コーディングリ、(2000)、p314~318
  12. ^ ジョンソン、(2012)、p141
  13. ^ a b c ジョンソン、(2012)、p142
  14. ^ コーディングリ、(2000)、p319
  15. ^ a b ジョンソン、(2012)、p143
  16. ^ a b c ジョンソン、(2012)、p144~p145
  17. ^ コーディングリ、(2000)、p320~p321
  18. ^ a b ゴス、(2010)、p20
  19. ^ コーディングリ、(2000)、p320~p321
  20. ^ ジョンソン、(2012)、p147
  21. ^ a b コーディングリ、(2000)、p321
  22. ^ コーディングリ、(2000)、p321~p322
  23. ^ a b c d e f g コーディングリ、(2000)、p322~323
  24. ^ ゴス、(2010)、p21
  25. ^ a b ジョンソン、(2012)、p149~150
  26. ^ コーディングリ、(2000)、p323
  27. ^ コーディングリ、(2000)、p324
  28. ^ a b コーディングリ、(2000)、p324
  29. ^ コーディングリ、(2000)、p326
  30. ^ コーディングリ、(2000)、p326
  31. ^ ゴス、(2010)、p23
  32. ^ ゴス、(2010)、p239
  33. ^ CNN 2011.06.02「カリブの海賊の背後にエリート貴族」 2011年9月5日閲覧
  34. ^ CNN 2011.06.02「カリブの海賊の背後にエリート貴族」 2011年9月5日閲覧
  35. ^ CNN 2011.06.02「カリブの海賊の背後にエリート貴族」 2011年9月5日閲覧
  36. ^ コーディングリ、(2000)、p323~324
  37. ^ コーディングリ、(2000)、p323~324
  38. ^ a b c d e 別枝、(1965)、p13~16
  39. ^ 別枝、(1965)、p19~21
  40. ^ 海賊キャプテン・キッドの財宝発見か、マダガスカル沖 2015年5月8日配信 2015年5月12日閲覧
  41. ^ 「海賊キッドの沈没船と財宝ではない」ユネスコが否定2017年2月4日閲覧
  42. ^ 宝島について - 十島村役場HP
  43. ^ Branigin, William (1984年5月12日). “Tracking Captain Kidd's Treasure Puts Pair in Vietnamese Captivity”. The Washington Post 

参考文献

  • デイヴィッド・コーディングリ(編)、増田義郎、竹内和世(訳)『図説 海賊大全』2000年、東洋書林
  • チャールズ・ジョンソン(著)、朝比奈一郎(訳)『海賊列伝(下)』2012年、中公文庫
  • フィリップ・ゴス(著)、朝比奈一郎(訳)『海賊の世界史(下)』2010年、中公文庫
  • 別枝達夫(著)、『キャプテン・キッド権力と海賊の奇妙な関係』1965年、中公新書

関連項目


キャプテンキッド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/06 01:50 UTC 版)

キャプテンキッド』は、宇野比呂士による日本漫画作品。『マガジンSPECIAL』(講談社)1990年No.5から1991年No.5まで連載後、『週刊少年マガジン』(同)に1991年7月24日号(31号)から1992年5月13日・5月20日合併号(21・22号)まで連載。その後、再び『マガジンSPECIAL』にて1992年No.10から1993年No.10まで連載した。コミック全12巻、ワイド版全10巻。宇野の長編連載の第1作目である。

あらすじ

ブラックライトニング(黒魔剣)と呼ばれる剣を所有する、キッドの愛称を持つ少年が主人公。古代アトランティスの兵器であるマーメイド砲を擁する父から譲り受けた愛船、ドレイク号を操り、仲間の女嫌いの男ジョーカーと、牧師でありながら海賊船に属する男と、父親時代から共に船に乗っていた乗組員達と共に繰り広げる冒険活劇。

ブラックライトニングと対照的な存在である、ドラゴンライトニング(光竜剣)と呼ばれる剣を所有する者と出会い、物語は更にアトランティスにまつわる方向へと進展する。

登場人物

ドレイク号クルー

キャプテンキッド(フランシス・ドレイク・ジュニア)
16歳。海賊船ゴールデン・ドレイクⅡ号の船長で黒魔剣(ブラック・ライトニング)の所有者。左目は失って眼帯をしており顔に大きな傷を持つ。ドレイクが漂流していた赤ん坊のキッドを救助して養子にした。
マリーナ・クレイトー・アトラス
15歳。人魚でアトランティス古王朝末裔の124代王女。秘宝の力で別人格が発現する時がある。
ジョーカー・バラード
17歳。キッドの右腕で元殺し屋。ククリに似たブーメラン剣を二刀流で使う。女性に対しアレルギーがあり、女性に触れると蕁麻疹が出る。イタリア出身。
ハリー・ライム(ハインリヒ・フォン・シュトロハイム)
18歳。牧師の服装をした賞金稼ぎで元貴族。武器はモーゼルM1896だが、長短一対の銀製の剣・聖剣クルセイダーズを上着の下に隠し持っており、剣の腕も立つ。キッドの養父であるキャプテン・ドレイクが父親を殺害した仇だと誤解していたが、殺害犯はドレイクを装った別人であることが判明し、キッドとも和解。キッド達を改心させると称して仲間になる。オーストリア出身。
黄 大仙(ウォン・タイシン)
26歳。香港系中国人でドレイク号メカニック。ケンブリッジ留学中にトラブルに巻き込まれ仲間になった。

ヴィスコンティ財閥

ジョナ・F・ヴィスコンティ大佐
ヴィスコンティ家13代目当主にして私設軍の司令官。アトランティス人の末裔を自称。キッドとは因縁の関係にある男で、光竜剣(ドラゴンライトニング)の所有者。最終決戦でその真の素性が明らかとなる。
ヴィスコンティ伯爵
ヴィスコンティ家先代当主で闇の貿易王。キッドを人質にしてドレイクを殺害しようとするがキッドに倒される。

海賊

キャプテンドレイク(フランシス・ドレイク)
キッドの養父である海賊。元海軍大佐。ヴィスコンティ伯爵の銃撃からキッドを庇って死亡(42歳)。
レッド・スタージェス
19歳。カリブ海賊。キッドに惚れているが時には敵対することもある。

その他

H・O・ロレンス
砂漠の民ペドウィンの族長(シャイフ)。黒魔剣と対になる黄金剣(黄金の牙:ゴールデンタスク)を持ち、巨大なライオンを従えている。初登場時はヴィスコンティの配下だった。





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