オーエンの詩作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 04:01 UTC 版)
「ウィルフレッド・オーエン」の記事における「オーエンの詩作」の解説
オーエンは自身が体験した塹壕と毒ガスの凄惨な戦いを描いた詩によって、シーグフリード・サスーンと並び、第一次世界大戦を象徴する「戦争詩人(War Poet)」として人々の記憶に刻まれている。エディンバラで療養中のオーエンがサスーンと出会った事はオーエンの作風に大きな影響を及ぼし、オーエンの代表作『死すべき定めの若者のための賛歌』も一語一句に至るまでサスーンの添削を受け、推敲に推敲を重ねたものである。オーエンとてサスーンと出会う以前からサスーンが強調したリアリズムや『体験から書く事』という要素と無縁であったわけではないが、これらの要素がオーエンの作風の核を占めるようになったのはまぎれもなくサスーンの影響によるものと思われる。現在世上に評価されているオーエンの詩の多くはサスーンとの出会い以降に書かれた物である事がなによりの例証である。 サスーンはオーエン戦死の直前からオーエンの詩の紹介に努め、オーエンの詩はその成り立ちから受容に至るまでサスーンの影響下に置かれる事になった。サスーンの紹介でオーエンの詩を知ったイーディス・シットウェルはオーエン初の詩集の出版に尽力、第二のオーエン詩集を刊行したのはやはりサスーンの紹介でオーエンの詩を知った詩人エドマンド・ブランデンである。
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