エフタル【Ephtalite】
エフタル
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エフタル(英: Hephthalite、パシュトー語: هپتالیان)は、5世紀から6世紀にかけて中央アジアに存在した遊牧国家である。名称は史料によって異なり、インドではフーナ (Hūna),シュヴェータ・フーナ (白いフン)、サーサーン朝ではスペード・フヨーン(白いフン)、ヘテル (Hetel)、ヘプタル (Heptal)、東ローマ帝国ではエフタリテス (Ephtalites)、アラブではハイタール (Haital)、アルメニアではヘプタル (Hephtal),イダル (Idal),テダル (Thedal) と呼ばれ[1]、中国史書では嚈噠[2](ようたつ[注釈 1]、Yàndā),囐噠(ようたつ、Yàndā)[3],挹怛(ゆうたつ、Yìdá)[4],挹闐(ゆうてん、Yìtián)[5]などと表記される。また、「白いフン」に対応する白匈奴の名でも表記される。
注釈
出典
- ^ 『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』p87
- ^ 『魏書』、『北史』、『新唐書』(嚈は口偏に厭、噠は口偏に達)
- ^ 『周書』
- ^ 『隋書』、『新唐書』
- ^ 『新唐書』
- ^ 宮本亮一(AA研共同研究員,京都大学)「クシャーンからエフタルへ:中央アジアから南アジアへの人間集団の移動」
- ^ 『新唐書』列伝第一百四十六下 西域下「嚈噠,王姓也,後裔以姓為國,訛為挹怛,亦曰挹闐。」
- ^ 影山悦子「ユーラシア東部における佩刀方法の変化について :エフタルの中央アジア支配の影響」ℙ31
- ^ 岩村 2007,p118
- ^ B・ガフーロフ( Bobojon G. Gafurov)『タジク人 (Tadzhiki)』(モスクワ、1972年)。
- ^ 『魏書』列伝第九十一高車、『北史』列伝第八十六高車
- ^ 山田 1964 p625-626
- ^ 『魏書』列伝第九十一高車、『北史』列伝第八十六高車
- ^ 小谷 2019 p8
- ^ 『魏書』列伝第九十一高車、『北史』列伝第八十六高車
- ^ 『洛陽伽藍記』
- ^ 『宋雲行記』
- ^ 『魏書』列伝第九十一蠕蠕、『北史』列伝第八十六蠕蠕
- ^ 『魏書』紀第五、第八、第九、『北史』紀第二、第四、第五、上第九
- ^ 『魏書』紀第五、第八、第九、『北史』紀第二、第四、第五、上第九
- ^ 内田 1975
- ^ 内田 1975
- ^ 『魏書』列伝90、『新唐書』列伝146下など
- ^ 『通典』辺防9
- ^ 『魏書』列伝九十、『通典』辺防9
- ^ ヴィレム・フォーヘルサング『アフガニスタンの歴史と文化』
- ^ 王徳龍《『魏書』の月氏と嚈噠とエフタルについて》(別府大学史学研究会《史学論叢》第三十二号) 王徳龍《Hephthalites是嚈噠?》,《史学月刊》2007年増刊
- ^ 小谷 2019 p2
- ^ 小谷 2019 p5
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