エジプトにおける王権の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 07:16 UTC 版)
「前1200年のカタストロフ」の記事における「エジプトにおける王権の衰退」の解説
『海の民』の襲撃を撃退したエジプトはその影響を免れた。しかし、この襲撃によりレヴァントの港などシリア、パレスチナの重要な街が被害を被った。これらエジプトの勢力圏であったシリア、パレスチナでの海の民らの襲撃はシリア、パレスチナにおける民族問題や経済問題に影響を与えた可能性が指摘されており、エジプトの王権に対する影響があったと推測されているが、証拠が少なく確定できない状態である。 『海の民』の襲撃を撃退したラムセス3世の死後、第20王朝時代に8人の王が即位したが、ラムセス9世とラムセス11世以外の王らが短命であったため王権が衰退することになった。また、ラムセス9世の時代、アメン大神殿の壁画のレリーフはラムセス9世の彫像と同じ大きさで描かれ、アメン大司祭の権力と王の権力が同等であったことが推測されており、この時期以降、王権が急速に衰退したと推測されている。 そして第21王朝の時代、エジプトは軍事的、経済的に著しく衰退し、前11世紀末にはテーベの神殿でさえもが放棄され朽ち果てることとなる。
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