エ・テメン・ニグル
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エ・テメン・ニグル(シュメール語 E-temen-nigur(u) É.TEMEN.NÍ.GÙR(U).(RU) 𒂍𒋼𒉎𒅍(𒊒)[1] 「畏怖をもたらす基礎の家」[2]、Ziggurat of Ur)[3] は、ウル第三王朝ウル(今日のイラクジーカール県ナーシリーヤ近郊)に位置したジッグラト。通称「ウルのジッグラト」。
- ^ Jacob Klein Three Šulgi hymns: Sumerian royal hymns glorifying King Šulgi of Ur, Bar-Ilan University Press (1981), ISBN 9789652260185, p. 162.
- ^ Shumeru : Jinrui saiko no bunmei. Kobayashi, Toshiko, 1949-, 小林, 登志子, 1949-. Tōkyō: Chūō Kōron Shinsha. (2005). ISBN 4-12-101818-4. OCLC 675847194
- ^ a b Explore the ziggurat of Ur, The Ziggurat of Ur, the British Museum's web site on Mesopotamia covering Sumer, Babylonia and Assyria.
- ^ Gardner's Art Through the Ages by Helen Gardner, Fred S. Kleiner, Christin J. Mamiya
- ^ Ring, Trudy; Salkin, Rober M.; La Boda, Sharon. International Dictionary of Historic Places. p. 719. ISBN 1884964036
- ^ E. Sollberger, Mr. Taylor in Chaldaea, Anatolian Studies (1972)
- ^ Woolley, C. Leonard (1939). The Ziggurat and its Surroundings. Ur Excavations. 5
- 1 エ・テメン・ニグルとは
- 2 エ・テメン・ニグルの概要
ウルのジッグラト
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ウルのジッグラト(エ・テメン・ニグル)は紀元前2100年頃、ウル第三王朝のウル・ナンムが建造したとされている。規模は第一層が底面62.5m×43m、高さ11m、第二層が底面38.2m×26.4m、高さ5.7mで、最上部に月神ナンナを祀る神殿を載せていた。長方形の基部の四つの角はほぼ東西南北を指しており、正面と左右から真直ぐに階段がかかっている。正面の階段のみ三層目まで達していた。全体では上面が底面より小さい側面が台形の箱を重ねたような建造物である。メソポタミアでは建築に用いられる質の良い木材が少なかったこともあり、現在でもよく使用される日乾煉瓦や焼成煉瓦が用いられた。躯体主要部は日乾煉瓦によって構成され、表面は焼成煉瓦で仕上げられている。壁はバットレス(控え壁)と呼ばれる突出部がついており、規則的に凹凸ができていることによって単調ではなくなり、陰影のある外観となっている。また、底面の各辺や壁体の稜線は中央で膨らみがつけられているところからすでに視覚的補正効果をねらった表現がなされていたと考えられる。イラクにある。
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