ウラディーミル・ホロヴィッツとは? わかりやすく解説

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ウラディミール・ホロヴィッツ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 07:51 UTC 版)

ウラディミール・サモイロヴィチ・ホロヴィッツVladimir Samoilovich Horowitzヘブライ語: ולדימיר הורוביץ‎[注釈 1]1903年10月1日 – 1989年11月5日)は、ロシア帝国(現:ウクライナ)生まれ[1][2][3]アメリカクラシックピアニストである。


注釈

  1. ^ ロシア語名では'ヴラジーミル・サモイロヴィチ・ゴーロヴィツВладимир Самойлович Горовиц Vladimir Samojlovič Gorovic)、ウクライナ語名ではヴォロディームィル・サミイロヴィチ・ホーロヴィツィВолоди́мир Самí́йлович Го́ровиць Volodymyr Samijlovyč Horovyc)。Horowitzという苗字そのものは、チェコの地名 Hořovice(ホジョヴィツェ)のイディッシュ語名 האָראָװיץ‎Horovits)に由来する。
  2. ^ ワンダの母語はイタリア語でホロヴィッツはロシア語であるため、当初家庭内ではフランス語で会話をしていた。アメリカ在住が長くなるにつれ、夫婦とも英語を使うようになった。
  3. ^ フランツ・モア(1994)『ピアノの巨匠たちとともに』中村菊子訳、音楽之友社、51ページ「私はその医者の名前も知らないが、その医者を全く信用していなかった。彼はホロヴィッツを薬づけにしたのだ。…コンサートの後、憔悴しきったホロヴィッツは物を言う気力もなく、椅子にうずくまってつぶやいた。『分かっている……間違った音だらけ……音をうんとはずした……自分で自分に何が起こっているか分からない』」(フランツ・モアはスタインウェイ社の巨匠技術師。25年間ホロヴィッツの専属調律師を務めた)。
  4. ^ デヴィッド・デュバル(1995)『ホロヴィッツの夕べ』小藤隆志訳、青土社、147ページ「新聞の否定的な批評が次第に浸透してきて、幸運にも彼はその主治医の影響から解放された。その精神科医はお払箱になった。この経験の苦痛は大きく、彼は後になっても…その医者のオフィスの前を通ることすら避けたほどである」。
  5. ^ なお、フランスにおける伝統的な奏法は、パリ音楽院サン=サーンスルイ・ディエメマルグリット・ロンらに代表されるように、「曲げた指」を用いるのが主流である
  6. ^ なお、同年、ソニアは祖父アルトゥーロ・トスカニーニを亡くしている。
  7. ^ 佐藤正治 “放射線22 「ひびのない骨董品」” 『東京新聞』6.13 2006.「新しい担当医の治療で復調した氏(引用者註。ホロヴィッツ)は、86年春、露、独、英の演奏旅行で素晴しい演奏を繰り広げた。この旅行の帰路に氏は再び来日を願い、ロンドンで急きょ記者会見を行った。『3年前の私の演奏は良くなかったと思う。しかし今はもっと良い演奏ができる気がするので、再び日本で演奏したい』。当時81歳の氏が会見の冒頭で語った言葉である。3年前の演奏を『薬のせいで』などと言い訳をせず、再起を望む姿勢に私は感銘を受けた。」(佐藤正治は招聘した音楽事務所の取締役。年齢は1904年生年説による)

出典

  1. ^ “Obituries: Vladimir Horowitz”. The Daily Telegraph. (1989年11月7日). オリジナルの2022年9月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220908194512/https://www.newspapers.com/clip/109193649/the-daily-telegraph/ 2022年9月8日閲覧。 
  2. ^ Folkart, Burt A. (1989年11月6日). “World-Renowned Pianist Vladimir Horowitz Dies”. Los Angeles Times. オリジナルの2022年9月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220908193907/https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1989-11-06-mn-682-story.html 2022年9月8日閲覧. "Born in Kiev, Russia, on Oct. 1, 1904, Horowitz was the youngest of four children of Simeon and Sophie Horowitz [...]" 
  3. ^ “'Controlled thunder' is gone: Horowitz's death takes the last link”. Peninsula Times Tribune. Associated Press. (1989年11月6日). オリジナルの2022年9月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220908195805/https://www.newspapers.com/clip/109193375/the-peninsula-times-tribune/ 2022年9月8日閲覧。 
  4. ^ Merson, Francis (2012年7月5日). “The 10 Greatest Pianists of All Time – 2. Vladimir Horowitz (1903–1989)”. Limelight. Arts Illuminated Pty Ltd. p. 9. 2014年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月5日閲覧。
  5. ^ Time. Michael Walsh, The Greatest Pianist of All?, July 21, 2008. Retrieved on June 3, 2009.
  6. ^ The 20 Greatest Pianists of all time” (英語). Classical Music. 2021年10月24日閲覧。
  7. ^ Dubal, 1989
  8. ^ Полновластный король, вечный странник-артист...” (ロシア語). Interesting Kiev. Interesniy.kiev.ua (27 September – 3 October 2003). 2011年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月30日閲覧。 (Title translation: "Sovereign king, an eternal wanderer-artist...")
  9. ^ プラスキン、p.12, 66。
  10. ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、178ページ、ISBN 4-7872-7208-X
  11. ^ Encyclopedia of World Biography. The Gale Group, Inc.2004
  12. ^ イェール大学に寄贈されたコレクション目録
  13. ^ グレン・プラスキン『ホロヴィッツ』p.260(音楽之友社、1984年)
  14. ^ Brown, Chip (2013年3月24日). “The Operatic Reign of Peter Gelb”. The New York Times Magazine: pp. MM26. https://www.nytimes.com/2013/03/24/magazine/the-epic-ups-and-downs-of-peter-gelb.html?pagewanted=all 2013年3月21日閲覧。 
  15. ^ Horowitz TV Interview 1977”. YouTube (2010年8月25日). 2021年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月31日閲覧。
  16. ^ Assay, Michelle (2020年1月10日). “Vladimir Horowitz: Our Contemporary”. Gramophone. Mark Allen Group. 2020年2月10日閲覧。
  17. ^ a b c Schonberg, 1992
  18. ^ Plaskin, 1983, pp. 52, 56, 338–37, 353.
  19. ^ Plaskin, 1983, p. 162
  20. ^ Dubal, 1991, p. 16. "During the years I knew him, there were no signs of any sex life and very little talk on the subject. I personally doubt that he was capable of loving a man emotionally, but there was no doubt he was powerfully attracted to the male body and was most likely often sexually frustrated throughout his life."
  21. ^ Dubal, 1991, pp. 16–17.
  22. ^ Dubal, 1991, p. 251.
  23. ^ The Great White (Jewish, Gay) Way”. 2022年6月12日閲覧。
  24. ^ “58 Years and Counting. A Love Story.”. The New York Times. (2013年9月5日). https://www.nytimes.com/2013/09/08/nyregion/58-years-and-counting-a-love-story.html?_r=0 
  25. ^ Janis, Byron. Chopin and Beyond: My Extraordinary Life in Music and the Paranormal, pp. 67–68. Wiley. ISBN 0-470-60444-1
  26. ^ Plaskin, Glenn (1983). Biography of Vladimir Horowitz Quill ISBN 0-688-02656-7 p. 215 "In December 1940, Horowitz had begun psychoanalysis with an eminent psychiatrist, Dr. Lawrence Kubie, a strict Freudian who was attempting to exorcise the homosexual element from Horowitz."
  27. ^ Plaskin, Glenn (1983). Biography of Vladimir Horowitz Quill ISBN 0-688-02656-7 pp. 338, 387, 389.


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ウラディーミル・ホロヴィッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 09:07 UTC 版)

アレクサンドル・スクリャービン」の記事における「ウラディーミル・ホロヴィッツ」の解説

ホロヴィッツは、特にラフマニノフとの関係も有名であるが、スクリャービンとも関係がある。ホロヴィッツピアノ始めたばかりの頃、スクリャービンの前で演奏させてもらえる機会があったという。その時スクリャービンその場では将来必ずしも成功するとは語らずも、このピアニスト才能見抜きホロヴィッツ母親に、早く本格的なピアノ教育をするように助言したと言うそのような繋がり」もあってか、ホロヴィッツは、スクリャービン音楽反倫理的であると否定的に解され時代にあっても、自分レパートリーに必ずスクリャービン作品入れていた。

※この「ウラディーミル・ホロヴィッツ」の解説は、「アレクサンドル・スクリャービン」の解説の一部です。
「ウラディーミル・ホロヴィッツ」を含む「アレクサンドル・スクリャービン」の記事については、「アレクサンドル・スクリャービン」の概要を参照ください。

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