ウェンスレーデール事件とは? わかりやすく解説

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ウェンスレーデール事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 09:45 UTC 版)

一代貴族」の記事における「ウェンスレーデール事件」の解説

一代貴族(Life Peer)の先例14世紀から存在するが、1758年にエリス・バーミンガムが一代限りアイルランド貴族爵位としてブランドン伯爵(Countess of Brandon)に叙されたのを最後に19世紀半ばまで例がなくなっていた(1876年以前一代貴族英語版参照)。また過去一代貴族多く女性だった(女性貴族院議員とはならない)。そういう中で近代において最初に一代貴族問題貴族院俎上にのったのは1856年のウェンスレーデール事件だった。この事件概要以下のとおりである。 貴族院当時貴族院最高裁判所でもあった)に法律家少なくなっていたことを憂慮し首相第3パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルは、ヴィクトリア女王奏請して裁判官サー・ジェームズ・パーク(英語版)を1856年1月16日勅許状一代貴族のウェンスレーデール男爵(Baron Wensleydale)に叙させた。この時代には異例である一代貴族としたのはパーク息子がすでに死んでいて爵位継承できる者がなかったこと、世襲貴族にしてしまうと財産面で体面を保たねばならなくなり裁判官に過ぎないパークではそれほど財産用意できないだろうと配慮しためだった。 だが、これは貴族院から大変な反発招いた貴族院はウェンスレーデール男爵議員として認めかどうか特権委員会付託。同委員会パーク一代貴族とする勅許状も、またそれに基づいて発行される議会招集状も彼を貴族院議席座らせることはできない結論した2月25日貴族院はこの特権委員会結論承認した。この貴族院強硬な反発憂慮しヴィクトリア女王は、7月23日改め通常の世襲貴族爵位のウェンスレーデール男爵位をパーク与えることで事件落着させた。 この時、貴族院一代貴族反対したのはシドニー・ベイリー(Sydney Bailey)によれば次の諸点であった過去先例一代貴族任命の例であり、一代貴族貴族院議席与える例ではない。したがってパーク場合この先例を引用できない。 なぜ適当な人物通常の形で世襲貴族にしないのか。子孫貴族権威を保つだけの財産持ちえないとすれば格下げすればよい。 世襲原則革命対す強力な防塞である。政府実質的な一代貴族任命権認めることは、運用次第では貴族院世襲的性格弱め貴族院独立性を脅かすことになる。 貴族に二種類あることを認めわけにはいかない極端に言えば世襲貴族金持ちだが無能一代貴族は貧乏だが有能国民から囁かれることは認めがたい。 独立した判断下せるのは富める者のみである。政府有能だが貧乏な者を一代貴族にすることによって貴族院自由に操縦できるうになるではないか。 これらの理由は、この後長く一代貴族制度反対さ続け理由だった。

※この「ウェンスレーデール事件」の解説は、「一代貴族」の解説の一部です。
「ウェンスレーデール事件」を含む「一代貴族」の記事については、「一代貴族」の概要を参照ください。

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