イスラエル側の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:15 UTC 版)
「10月14日の戦車戦」の記事における「イスラエル側の状況」の解説
10月10日、南部方面軍司令官シュムエル・ゴネン(英語版)少将に代わり、事実上の後任としてもと参謀総長のハイム・バーレブ(英語版)中将が着任した。 13日、スエズ市対岸のバーレブ・ライン拠点、「メサグー」が降伏した。「メサグー」と連絡をつけようとした第252機甲師団長のアブラハム・マンドラー(英語版)少将が第401機甲旅団のいるギジ峠周辺において南部方面軍司令部との交信中、エジプト軍からの砲撃を受けて戦死した。そこでスエズ運河北地域で第146混成師団の指揮を執っていたカルマン・マゲン准将が少将に昇進の上、第252機甲師団長に任命された。第146混成師団長には南部方面軍参謀長のサソン・イツハキ(ヘブライ語版)准将がついた。 その後、バーレブ、ゴネン、第143予備役機甲師団長のアリエル・シャロン少将、第162予備役機甲師団長アブラハム・アダン少将、マゲン、イツハキ、参謀総長ダビット・エラザール中将を交えた作戦会議が行われた。反撃には逆渡河が不可欠であるが、エジプト軍の攻勢を待って一戦した後渡河するのか、それともエジプト軍の攻撃を待たずに15日には渡河を強行するかが議題であった。 実は10月6日の開戦直前に参謀本部諜報局(アマーン)が「エジプト軍はミトラ・ギジ峠に到達する意図はない」という正確な作戦分析を出していたのだが、イスラエル軍の将校たちはそれを忘れてしまっていた。しかしゴランでの戦況を受けてエジプト軍が攻勢準備を整えつつあり、さらにコマンドー部隊が後方に侵入している(これらの部隊はイスラエル軍の空挺部隊によって掃討された)という情報がツビ・ザミール諜報特務庁(モサド)長官よりもたらされ、エジプト軍と一戦を交えた後、渡河する事に決まった。
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