アーシューラーの前後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 17:07 UTC 版)
「アリー・ザイヌルアービディーン」の記事における「アーシューラーの前後」の解説
有名なアーシューラーの日、すなわちカルバラーの戦いにおいて、父のフサインをはじめ、アリー・ザイヌルアービディーンの家族の多くが死に追いやられた。アリー・ザイヌルアービディーンは、病弱の故に病の床に伏して戦闘に参加せず、結果的に生き残る。戦いののちアリーはウマイヤ朝の捕虜となってダマスクスへ連行され、時のカリフ・ヤズィード1世の虜囚として過ごした。数年後に釈放されると、マディーナへと戻り、学者として師として静かな人生を送ることになる。 20年ものあいだ、アリーは食物を供されると常に涙を流したという。ある時、従僕がアリーに尋ねた。 「ああ、神の預言者の子よ!。あなたの悲しみの時は幕を閉じたのではないのか」と。アリーは応えた。「ああ、そなた! 預言者ヤークーブは12人の息子を授かったが、神はその1人を消し給うた。ヤークーブの眼はその常の嘆きによって白く曇り、その髪頭はなお悲しみにより灰に転じ、さらに背はひしゃげてしまったという。彼にはなお息子が残されたというに。私はどうか。父、兄弟、叔父……17人もの我が縁者は惨たらしくことごとく滅せられたのだ。であるのに、我が悲しみは終わらねばならぬと?」と。
※この「アーシューラーの前後」の解説は、「アリー・ザイヌルアービディーン」の解説の一部です。
「アーシューラーの前後」を含む「アリー・ザイヌルアービディーン」の記事については、「アリー・ザイヌルアービディーン」の概要を参照ください。
- アーシューラーの前後のページへのリンク