アンリ・デュナン
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ジャン=アンリ・デュナン(Jean-Henri Dunant、1828年5月8日 - 1910年10月30日[1])は、スイスの実業家。赤十字社を創設し、1901年に「第1回ノーベル平和賞」を受賞した[2]。
- ^ “20世紀西洋人名事典の解説”. コトバンク. 2018年2月10日閲覧。
- ^ a b フランスの経済学者フレデリック・パシーとの共同受賞。
- ^ 木内利三郎訳、日赤出版普及会、1969年
- ^ 井上忠男編訳 『赤十字標章ハンドブック』 東信堂、2010年、6-14頁、ISBN 9784887139763
- 1 アンリ・デュナンとは
- 2 アンリ・デュナンの概要
- 3 関連項目
アンリ・デュナン
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「ソルフェリーノの戦い」の記事における「アンリ・デュナン」の解説
ソルフェリーノの戦いが行われた当日、スイスの銀行家アンリ・デュナンは、事業の支援を要請するためにナポレオン3世の許を訪れていた。戦いの模様を観戦していたデュナンは、眼前で展開される凄惨な光景に大きな衝撃を受けた。さらに負傷兵の粗雑な扱いにも驚いた。負傷兵は後方のカスティリオーネに運ばれていたが、あまりの数の多さのため、病院の代わりとなっていた教会に入りきらず、街路に放置されていた。デュナンは町民とともに負傷兵の手当てに加わったが、多数の兵士が治療の甲斐なく死んでいった。 スイスに帰国したデュナンは、自身のカスティリオーネの経験と、ソルフェリーノの戦いに参加した兵士の証言を元に『ソルフェリーノの思い出』と題する書籍を出版した。その中でデュナンは、国家に関係なく負傷者の治療に当たる専門機関の結成を訴えた。一方で、有力者の支持を得られるように配慮することも忘れていなかった。『ソルフェリーノの思い出』は大きな反響を呼び、多数の賛同の声がデュナンの許に寄せられた。1863年、戦傷兵国際救済委員会(のちの赤十字国際委員会)が結成され、やがて赤十字運動は世界へと広がっていった。
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アンリ=デュナン
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「リィンカーネーションの花弁」の記事における「アンリ=デュナン」の解説
小柄で毒舌な廻り者。血を見ると興奮する。仲間の傷を請け負う才能を持ち、彼らの戦闘におけるキーマンとなる。気遣い上手で、普段も「浮草」の輪の中心にいた。
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