アレクサンドリア包囲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 17:24 UTC 版)
「第2軍団トライアナ・フォルティス」の記事における「アレクサンドリア包囲戦」の解説
ニコポリスに駐在する間にエジプト南方でローマに対する反乱が勃発、アレクサンドリアは数ヶ月間反乱軍に包囲されてしまう。疫病や飢餓の恐れが都市に蔓延していたが、軍団にまでは動揺は走らなかった。 そしてアウィディウス・カッシウスがローマに反乱、シリアに軍を進軍。ようやくこの地を守る第2軍団トライアナと第22軍団デイオタリアナが助けられた。この時にローマの穀倉地帯の防御を果敢に勤め上げたという功績に対して、第2軍団トライアナには「フォルティス(Fortis - 『勇敢な軍団』の意)」の称号を贈られる事になる。当時の情勢ではカッシウスは東部領域の実質的な支配者、対する皇帝マルクス・アウレリウスはマルコマンニ族の戦いで手一杯な状態であった。 皇帝が亡くなったと思い込み、アウレリウスの奥方の賛同を得てカッシウスは反乱を起こしたのだが、皇帝はまだ生きていた。その情勢から他ならぬアウレリウス本人がこの反乱討伐のためドナウ川の軍団を率いて来ることを知ると、カッシウスは自軍の兵士によって殺害され、首はアウレリウスに送られた。それに対してアウレリウスはただ軍団をパルティアへの警戒に適した区域に配属させた。
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