アマチュア無線の先駆者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/19 20:09 UTC 版)
「ヒューゴー・ガーンズバック」の記事における「アマチュア無線の先駆者」の解説
ガーンズバックは1908年12月に発売された『モダン・エレクトリックス』(1909年1月号)で読者に呼びかけて、無線通信の発展を目的とするアメリカ無線協会(Wireless Association Of America, WAOA)を創設し、全米のアマチュア無線家を組織した。その会長を三極真空管の発明者として知られたリー・ド・フォレスト(Lee de Forest)に依頼した。WAOAは営利を目的とせず、自分の無線局(受信専門局を含む)を持っている米国籍の無線実験家であれば誰でも入会でき、会費は無料である。1909年末にはWAOAの会員数が3000に達した。ちょうどアマチュア無線の電波が海軍局に混信を与えることが大きな社会問題となり始めた頃であり、WAOAのガーンズバックとド・フォレスト会長は、短波帯にいたアマチュアたちが、海軍局や商業局が使う低い周波数に降りてくることを自粛し、無益なトラブルを避けるべきだと指導していた。 1909年5月、ガーンズバックはWAOAよりコールブック(無線局名録)"Wireless Blue Book" を出版した。全世界の無線局名録としては米国海軍省が1906年より毎年発行しているが、民間組織による発行はこれが最初である。またWAOAのものにはアマチュア局も収録されており、アマチュア無線のコールブックとしても世界最古のものである。 1909年12月に電波を国家管理するロバーツ法案が提出されたが、これにはアマチュア無線の禁止が含まれていたため、ガーンズバックが反対運動を始めた。軍用局や商業局へ混信を与える「学生小児実験家」(アマチュア無線家)を締め出す法案と、それに反対するガーンズバックの様子が、日本の逓信省職員の機関誌ともいえる『通信協会雑誌』で伝えられている。これが、アマチュア無線というものが日本に伝えられた最初だった。
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