アカデミーの授業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 22:28 UTC 版)
「アカデミック美術」の記事における「アカデミーの授業」の解説
若い画家たちは数年間厳しい訓練に明け暮れた。フランスでは、試験に受かり、著名な美術教授からの推薦状を貰った学生たちだけがアカデミーの付属学校エコール・デ・ボザールに入学を許された。「académies」と呼ばれたヌードのデッサンと彩画がアカデミック絵画の基本で、その技術の習得方法は明確に定められていた。最初に、学生たちは古典彫刻の印刷物を模写し、輪郭・光の陰影に馴染まされた。アカデミック教育にとって模写は重要なものと考えられていた。過去の美術家の作品を模写することは、その芸術技法を吸収するためである。次のステップに進むためには、学生たちは評価のためにデッサンを提出しなければならなかった。もしそれが認められたら、有名な古典彫刻の石膏模型のデッサンが待っていた。その技術を身につけた者だけが、ポーズをとったモデルを写生する教室に入ることを許された。面白いことに、エコール・デ・ボザールでは1863年になるまで絵の具を使った彩画は教えられなかった。筆を使って彩画するためには、学生たちはデッサンで実力を示さなければならなかった。デッサンはアカデミック絵画の彩画の基本と考えられていた。それが認められた者だけが、アカデミー会員のアトリエに弟子として入り、彩画を学ぶことができた。全課程を通して、与えられたテーマと定められた時間でコンペが開かれ、学生たちの成長が量られた。 学生のための美術コンペで最も有名なものがローマ賞だった。ローマ賞の優勝者はローマにあるアカデミー・フランセーズのヴィラ・メディチ校(現ローマ・フランス・アカデミーで最長5年間学ぶための奨学金を得られた。コンペ参加の条件は、フランス国籍を持つ男性で独身かつ30歳以下だった。さらにエコールの入学資格を満たし、有名な美術教師の指示も必要だった。競争は厳しく、ファイナルまで幾つもの段階があった。10人のコンペ参加者が72日間、アトリエに隔離され、最終審査の対象となる歴史画を描いた。優勝者はプロとしてのキャリアを約束された。 前述した通り、サロンでの展示も画家として認められた証だった。そしてプロの画家たちの最終目標はアカデミー・フランセーズ会員に選ばれることだった。画家たちはサロンに絵を展示する委員に、自分の絵を最善の「線上」つまり目の高さで展示して欲しいと頼んだ。展覧会が始まって、もし絵が「空」つまり天井近くの高いところに展示されていたら、画家たちは不平を訴えた。
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