その他作品等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 08:23 UTC 版)
機能主義の先駆者のように扱われるガルニエであるが、自身が実際手がけた建築作品は、スタッドも屠殺場も病院もみなボザール特有の対象形配列で設計し、モニュメンタルな作品と化している。 ガルニエの作品はほとんどが出生地リヨンに存在するが、1931年から1934年にかけて、パリ西に隣接するブーローニュ・ビアンクール市の市庁舎をJ・ドゥバ=ポンサン、ジャン・プルーヴェらと協働して設計した。 ボザール時代は、合理主義の建築論を展開するジュリアン・ガデに影響を受けたと後年語っていることが知られている。 故郷リヨンで多くの建築物の設計を手がけているガルニエだが、工業都市以外にも1998 FIFAワールドカップでサッカー日本代表が闘ったスタジアム「スタッド・ジェルラン」や、リヨン市営屠殺場(1909年から1913年)、エドゥアール・エリオ病院(1915年から1930年)、織物工場(1930年)、モンセックス電話センター(1923年)など、建築作品も多く残したことが知られている。 工業都市に描かれている細かい施設はエミール・ゾラの物語を依拠していることを記している。実際に社会主義者のための集会場から、労働組合の事務所まで計画されている。
※この「その他作品等」の解説は、「トニー・ガルニエ」の解説の一部です。
「その他作品等」を含む「トニー・ガルニエ」の記事については、「トニー・ガルニエ」の概要を参照ください。
- その他作品等のページへのリンク