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ごようぜいてんのう ごやうぜいてんわう 【後陽成天皇】
(1571-1617) 第一〇七代天皇(在位 1586-1611)。初名和仁(かずひと)、のち周仁(かたひと)。正親町(おおぎまち)天皇の皇子誠仁(のぶひと)親王の第一王子。和漢の学を好み、「古文孝経」「職原抄」「日本書紀神代巻」など慶長勅版を刊行。
美術人名辞典 |
後陽成天皇
読み方:ごようぜいてんのう
第百七代天皇。正親町天皇の皇子陽光院太上天皇(誠仁親王)の第一皇子。母は勧修寺晴右の娘新上東門院晴子。名は周仁、幼名は和仁。豊臣秀吉の全国平定・徳川家康の政権確立という時期に在位、天皇をはじめとする朝廷社会の復権につとめた。学問を好み舟橋秀賢に漢学を、細川幽斎に和学を学び、『伊勢物語』『源氏物語』等の古典を講じた。また木製活字を造らせ印刷・刊行した『日本書紀神代記』『職原抄』等は慶長勅版として文化史上高く評価されている。元和3年(1617)崩御、47才。
第百七代天皇。正親町天皇の皇子陽光院太上天皇(誠仁親王)の第一皇子。母は勧修寺晴右の娘新上東門院晴子。名は周仁、幼名は和仁。豊臣秀吉の全国平定・徳川家康の政権確立という時期に在位、天皇をはじめとする朝廷社会の復権につとめた。学問を好み舟橋秀賢に漢学を、細川幽斎に和学を学び、『伊勢物語』『源氏物語』等の古典を講じた。また木製活字を造らせ印刷・刊行した『日本書紀神代記』『職原抄』等は慶長勅版として文化史上高く評価されている。元和3年(1617)崩御、47才。
歴代天皇陵一覧 |
後陽成天皇 深草北陵
(ごようぜいてんのう ふかくさのきたのみささぎ)
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