お八つ
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おやつ
(お八つ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 13:56 UTC 版)
おやつ(片仮名でオヤツとも)とは、午後の間食のこと[1]。あるいは、間食全般。
注釈
- ^ スペイン、ポルトガル、オランダ、フランスなどに遅れをとるかたちで、イギリスも世界各地へ進出し、それらの国と熾烈な勢力争いを繰り広げ、イギリス人たちはインドでも1600年に東インド会社という貿易会社を設立しフランス、オランダなどと権益争いを繰り広げていたが、七年戦争(1756年-1763年)というイギリスとフランスとの間の大規模な戦争が起きると、両国はインドの地でも激突したのだが、1757年6月のプラッシーの戦いでイギリス側が勝利。それによりイギリスはインドで優勢な存在となり、おまけに貿易会社の東インド会社のインド貿易独占権が1813年に失効し、ただの政治組織になっていったこともあって、イギリス本国側はインドの地元の諸侯に対する支配を拡大し、1818年には当時インドの最大勢力となっていたマラーター同盟を解体してしまい、1848年にはパンジャーブのシク王国も滅亡させた。さらにムガル皇帝まで傀儡として支配し、1858年にムガル帝国を廃止し、ヴィクトリア女王を皇帝とするインド帝国を樹立した。つまりイギリスは皇帝がいた地であるインドをすっかり踏みにじって支配してしまい、植民地化してしまったわけであり、イギリス人はインドの人々を奴隷にして強制的に働かせることで富をつくりだし、その富がイギリス本国に流れ込み、結果としてイギリス国内で裕福層が増えた。そしてインドで奴隷を使い茶葉を生産させ、紅茶を生産することや、イギリス本国でそれを飲むことがまずは富裕層から、そして次第に中間層まで一般化した。インドで生産されたものは帆船でイギリス本国に運ばれたが、特に1840年代あたりから、イギリスで新たに登場した富裕層たちによる消費の量が増え、紅茶(やウール)などをイギリスに大量に速く運ぶ必要が出てきたので、より高速な帆船が開発された。それが「クリッパー」と呼ばれる船である。紅茶を運ぶものは「ティー・クリッパー」と呼ばれた。つまりイギリスで午後の間食を優雅に楽しむ習慣が根付いた背景には、実はそうした一連の歴史的な出来事、欧州諸国に対するイギリス側の追撃、帝国化、大英帝国の出現、インドの人々に対する過酷な扱い、イギリスで富裕層の出現と紅茶を飲むことの習慣化、があったわけである。
出典
- ^ a b c 広辞苑第六版
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ [3]
- ^ 石森延男 編『まんしうの子ども』修文館、1939年、37頁 。"日本の子どもは……十時と 三時には きまつたやうに、おくわしのおやつをもらひます。"。
- ^ 文部省社会教育局 編『乳幼児保護の問題』文部省社会教育局、1942年 。"間食の回数はどうしたらよいか。やはり昔から云はれてゐる通り「お十時」と「お三時」が適当であらう。"。
- ^ 農林水産省 おやつの意味を知りましょう
- ^ 『日本国語大辞典』の「ちゅうじき(中食)」の語誌
- ^ 読売新聞2014年8月8日「おやつの習慣 江戸時代に始まる」による。この記事にも書いてあるが、砂糖はもともと舶来の高級品だったが、8代将軍徳川吉宗が国内生産を奨励。砂糖を入手しやすくなり、甘味が広まる要因となったという。
[続きの解説]
「おやつ」の続きの解説一覧
- 1 おやつとは
- 2 おやつの概要
- 3 世界のおやつ、その時刻
- 4 脚注
「お八つ」の例文・使い方・用例・文例
- お八つは四時半
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