『三河物語』
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旗本大久保忠教の自伝『三河物語』(1626年頃の成立)では、家康の祖父清康が、家臣の阿部弥七郎(阿部正豊)によって「センゴノ刀ニテ」殺され、その結果として森山崩れという惨事が置きたという描写がある。ただし、ここではあくまで武器の刀工の名を淡々と記したに過ぎず、村正がことさら妖刀扱いされている訳ではない。他の箇所に村正は登場しない。家康の父は病死であり、長男の信康が信長の命令で切腹させられた時の検使(切腹の見届け役)は天方山城(天方道興か天方道綱かは不明)と服部半蔵だが村正が使われたという話はなく、関ヶ原の戦いの後の織田有楽斎との会話もない。 なお、同書に登場するもう一人の刀工の名前は長吉である(おそらく平安城長吉)。家康配下の猛将蜂屋貞次が、永禄6年(1563年)の三河一向一揆では家康を裏切って一揆側に周り、長吉の槍を使って松平金助を突殺するなど家康の軍を大いに苦しめている。ただし、家康が視界に入った場合はすぐに逃げ出して、家康本人には絶対に攻撃を仕掛けなかったという。
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