『ユリシーズ』刊行とは? わかりやすく解説

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『ユリシーズ』刊行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 16:31 UTC 版)

シルヴィア・ビーチ」の記事における「『ユリシーズ』刊行」の解説

シルヴィア・ビーチおよびシェイクスピア・アンド・カンパニー書店最大功績としてしばしば言及されるのは、1921年に「猥褻」であるとして発禁処分受けたジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を1922年パリ刊行したことである。ビーチジョイス出会ったのは1920年7月のことであった。『ユリシーズ』が発禁となったとき、ビーチモニエパリ刊行のための支援求めた。これに応じたのが、フランソワ・ビュリエが創設し当時隆盛極めていたダンスホール「バル・ビュリエ(フランス語版)」と「クロズリー・デ・リラであったシェイクスピア・アンド・カンパニー書店からの刊行決まったとき、ジョイス親しくしていたフランス人作家で後に『ユリシーズ』のフランス語訳監訳をすることになるヴァレリー・ラルボーは、彼が寄稿していた『新フランス評論』誌の編集長ジャック・リヴィエールに「英語圏新し文学において偉大な作家一人かいないジェイムズ・ジョイスである。(この冬に)『ユリシーズ』が刊行されたら、ジョイス世界で最も有名な顰蹙を買うほどに有名な作家になるだろう。『新フランス評論』誌はせっかくの機会失ったのであると書いている。『ユリシーズ』は1922年2月2日に1,000限定シェイクスピア・アンド・カンパニー書店から刊行された。また、ラルボー監訳仏語版『ユリシーズ』は、1929年モニエの「本の友の家」から刊行された。

※この「『ユリシーズ』刊行」の解説は、「シルヴィア・ビーチ」の解説の一部です。
「『ユリシーズ』刊行」を含む「シルヴィア・ビーチ」の記事については、「シルヴィア・ビーチ」の概要を参照ください。

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