「皇帝」の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:16 UTC 版)
紀元前221年、秦が中国の統一王朝となり、王であった嬴政は重臣らに「其れ帝号を議せ」と命じた。王を超える帝号は、当時の法家の間では広く求められており、『韓非子』では「五帝を越え三皇に等しい」存在の出現が待ち望まれており、丞相李斯は韓非と同門であり、嬴政も韓非の著作に傾倒した時期がある。重臣らは秦王の業績がかつての五帝をも上回る存在であるとして三皇に並ぶ存在としての「秦皇」の称号を提案した。しかしこれは受け入れられず、嬴政は「秦」の字を取って「帝」の字をつける「皇帝」という称号を自ら考案した。浅野裕一は嬴政の意図が「帝」の中の筆頭的な存在としての帝王号であったのに対し、重臣が「皇」扱いしたことを引き戻すためであったとしている。こうして「皇帝」の称号を名乗った嬴政は、最初の皇帝として『始皇帝』の名で呼ばれる。 秦において「皇帝」が五帝を超える存在であるとされたことには、五帝や王たちが封建制を廃せなかったのに対し、秦では郡県制を敷くことができたからとされている。 「朕」という言葉はもともと広く自称の言葉として使われていたが、始皇帝は「朕」を皇帝専用の自称とした。他にも「制」・「詔」などの皇帝専用語も策定した。
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