「吉薗周蔵手記」について
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「吉薗周蔵」の記事における「「吉薗周蔵手記」について」の解説
「吉薗周蔵手記」とは、周蔵が自らの経験と見聞を記した手記の総称で、大正元年(1912年)から昭和14年(1939年)までの内容が記載された「本紀」と個別事項の詳細が記載された「別紙」で構成される。 「吉薗周蔵手記」を解読した落合莞爾によると、主な特徴は次の2点としている。 「本紀」は編年体の日誌で、その月の記事をまとめて「○月末ピ」として記すことが多い。 個別事項については「別紙」に詳細しているが、「本紀」には「別紙」の存在を明記せず、傍線で仕切ることで「別紙」の存在を暗示している。 この他に周蔵が残した資料として、周蔵が開設した救命院(小淀)での観察記録をつけた「救命院日誌」、上高田救命院での記録をつけた「上高田日誌」、奉天の古陶磁器を書き付けた絵図、戦後に書き遺した「敗戦カラノ記」があり、その他にも祖母ギンヅル、佐伯祐三・米子夫妻、薩摩治郎八・千代子夫妻、藤田嗣治などからの書簡が多数残されている。 「吉薗周蔵手記」を解読・書籍化した落合莞爾が手にした「別紙」は全体の一部であり、多くの「別紙」は未発見もしくは未公開となっている。
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