Hs 129 (航空機) 運用

Hs 129 (航空機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/04 09:53 UTC 版)

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本機は敵戦車を上空から攻撃し、砲塔部分を破壊していく様子から、「空飛ぶ缶切」の愛称がついた。

実戦配備後しばらくは装甲車両の進化もあり目立った戦果を上げることは出来なかった。1942年には2番目の装備部隊である第2地上襲撃航空団が北アフリカ戦線に送られたが、ミクロン単位の砂粒によるエンジン故障が多発し稼働率がおち、事故による損失が目立ったためイタリアに後退した。

大きな戦果を上げたのは1943年のツィタデレ作戦(クルスク戦車戦)時において、第1及び第2地上襲撃航空団所属の数部隊によるローテーション襲撃によりソ連軍戦車旅団が数時間で潰滅した。

終戦間近までエンジン換装や武装強化プランが計画されたが、すでに本土が戦略爆撃に晒されている状態では戦闘機迎撃機の生産に重点を置くほか無く、エンジン換装、武装強化計画さらには量産計画さえも後回しにされた。またノーム・ローンエンジンを生産していた工場も連合軍によるフランスの解放により失われた。

終戦直前の時期には特殊なロケット弾を装備した機体もテストされている。これは機体中心線上に下向きに装備された発射管に、弾頭と装薬、カウンターマス(弾頭と同質量の錘)を装填したもので、装薬に点火すると弾頭は下向きに、カウンターマスは上に射出されるデイビス式無反動砲の一種であった。さらに発射タイミングは、機首先端に装備されたアンテナから下向きに電波を発し、敵戦車からの反射電磁波を検知すると自動的に砲弾を発射するという凝った仕組みだった。現在でも研究されている重装甲車両の弱点の一つである上面装甲を狙ったトップアタック兵器であり自動発射という当時としては画期的とも言える内容ではあるものの、暴発で機体を損傷するなどトラブルが多発したようだ。実際に3機に装備されテストされたが、終戦前の混乱もあり正式採用には至らなかった。この兵器は通称「フェルスターゾンデ」、「森林の探し針」などと呼ばれたようである。




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