FM mle1915軽機関銃 採用国

FM mle1915軽機関銃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 06:39 UTC 版)

採用国

第一次世界大戦中、Mle1915は大量に生産された。フランス以外ではアメリカ、ベルギー、ギリシャ、ポーランドなどで採用され、いくつかの国では自国の標準小銃弾に対応させた上で1920年代初頭を通じて使用されたという[3]

最終的には少なくとも11ヶ国の軍隊で採用されており、その中には第二次世界大戦中にヨーロッパ各地でMle1915を鹵獲したナチス・ドイツも含まれる[9]

ベルギー

第一次世界大戦中、国土の大部分を占領下に置かれたベルギーの軍備は、フランスからの軍事援助に大部分を依存していた。当初はMle1915と同等の8mm弾モデルが配備されていたが、1917年までにベルギー軍の標準小銃弾7.65x53mm モーゼル弾英語版仕様への設計変更に着手した。使用弾の変更自体は終戦までに成功し、戦後もベルギー軍での運用が続いた。1927年、さらなる改良を加えたM1915/27として知られるモデルが採用された。M1915/27は使用弾の変更に加え、元のMle1915よりも堅牢な弾倉、各所の開口部を塞ぐダストカバー、FN製BARと同型の二脚、給弾機構の信頼性の向上といった改善が加えられていた。1930年にFN製BARによって更新されたが、第二次世界大戦勃発の時点では依然としてM1915/27を配備されている部隊もあった[10]

アメリカ

アメリカ兵を歓迎するフランスの市民。左の兵士がM1915を背負っている(1918年)
M1918(上)とM1915(下)

アメリカ陸軍における制式名称はAutomatic Rifle, Model 1915 (Chauchat) (M1915自動小銃 ショーシャ)だった[8]。しかし、アメリカ兵は「ショーシャ」という名をもじった「ショーショー」(Show-Show あるいは Shoo-Shoo)、あるいは性能の劣悪さを揶揄した様々な名でこの機関銃を呼んだ[1]

1917年4月6日に第一次世界大戦に参戦した時点で、アメリカ軍では小銃から機関銃まであらゆる銃器が不足していた。このため、大量生産が可能とされていたMle1915をフランスから購入することが決定したのである。1917年9月から1918年11月の停戦までに、グラディエートル社のパリ工場では、アメリカ軍向けのM1915としてオリジナルと同様の8mm弾モデルおよそ16,000丁に加え、アメリカの標準小銃弾.30-06スプリングフィールド弾に対応させたM1918というモデルをおよそ19,000丁出荷した[1]

M1918は1917年7月にスプリングフィールド造兵廠が設計した。8月に行われた試験では同年設計されたブローニング自動小銃(BAR)の方が優れていると判断されたものの、当時BARは十分な調達が難しいとされていたこともあり、M1918も合わせて調達されることとなった。しかし、M1918はM1915以上に評判が悪かった。欠点であった二脚と弾倉(箱型16連発)は改良されていたが、薬室の寸法のため抽出不良が多発したほか、.30-06弾のエネルギーはMle1915の設計に対しあまりにも過大で、機関部の動作不良を招いたという。M1915も決して優れた火器ではなかったが、少なくとも射撃自体は行えるとして、アメリカ兵からはM1918よりも好まれていた[7]。完成して納入されたM1918のうち、実に40パーセントの個体が受入検査時に不良として差し戻され、アメリカ外征軍(AEF)への配備は遅々として進まなかった[1]。後年伝えられている「ショーシャ軽機関銃」にまつわる悪評の少なからぬ部分が、Mle1915ではなくM1918に由来するとも言われている[9]

BARの出荷が始まるとM1915は徐々に更新されたが、ジョン・パーシング将軍は本格的な配備が整う前にドイツ軍がBARを鹵獲・模倣することを避けるために、十分な数がフランスに届くまでは大規模な供給を行わない方針を定めていた。そのため、元々BARが配備されていた部隊であっても、パーシングの命令によってフランス到着後に改めてM1918の配備が行われた。1918年9月8日時点の報告では、AEFのうち計18個師団でショーシャ機関銃が配備されているものの、以後の配備は行わないとしている。また、M1918の性能の劣悪さにも触れられ、先述の18個師団のうち9個師団で配備されているものの、準備が整い次第BARへと更新するとされている。その後、最終的にBARの配備が行われたのは3個師団のみで、1918年11月の停戦まで多数のM1915がそのまま使用された。アメリカ兵らが復員する際、M1915の大半はフランス国内に残置されたという[1]

第一次世界大戦における名誉勲章受章者のうち、フランク・J・バート英語版一等兵、トーマス・C・ネイバウアー英語版一等兵、ネルス・ウォルド英語版一等兵の3名は、受章要件となった戦闘の際にM1915を使用していたとされる[1]


  1. ^ a b c d e f g h That "Damned, Jammed Chauchat"”. American Rifleman (2012年9月17日). 2015年11月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i Fusil mitrailleur Chauchat. FM modèle 1915 C.S.R.G.”. Les mitrailleuses du premier conflit mondial.. 2017年3月15日閲覧。
  3. ^ a b c Chauchat C.S.R.G. Model 1915 light machine gun / machinerifle (France)”. world.guns.ru. 2015年11月17日閲覧。
  4. ^ a b c Le fusil-mitrailleur de 8 mm CSRG modèle 1915”. armesfrancaises.free.fr. 2017年3月15日閲覧。
  5. ^ a b Une innovation : le fusil-mitrailleur C.S.R.G. 1915”. Alienor.org. 2015年11月22日閲覧。
  6. ^ Chauchat-Sutter Machine Rifle”. historicalfirearms.info. 2017年3月15日閲覧。
  7. ^ a b c d The Chauchat”. historicalfirearms.info. 2017年3月15日閲覧。
  8. ^ a b Provisional Instruction on the Automatic Rifle, Model 1915 (Chauchat)”. Army War College. 2015年11月17日閲覧。
  9. ^ a b The Chauchat Light Machine Gun: Not Really One of the Worst Guns Ever”. American Rifleman. 2017年3月15日閲覧。
  10. ^ Belgian Model 1915/27 Improved Chauchat”. Forgotten Weapons. 2020年3月27日閲覧。


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