Colorless green ideas sleep furiously
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/10 13:17 UTC 版)
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チョムスキーは下記のようにこの例を用いた。
It is fair to assume that neither sentence (1) nor (2) (nor indeed any part of these sentences) has ever occurred in an English discourse. Hence, in any statistical model for grammaticalness, these sentences will be ruled out on identical grounds as equally "remote" from English. Yet (1), though nonsensical, is grammatical, while (2) is not grammatical.[1]
- Colorless green ideas sleep furiously.
- *Furiously sleep ideas green colorless.
試訳:
- 色無き緑の考えが猛烈に眠る。
- (非文)猛烈に眠る考え緑の色無き。
文(1)も(2)も(あるいはこれら2文のうちのどの部分も)英語の談話にかつて現れたことはないと仮定することは妥当であろう。ゆえに、いかなる文法的正しさについての統計的モデルのもとでも、この2文は同一の根拠にもとづいて英語から同じくらい"離れている"ものとされ、許容されない。にもかかわらず、文(1)は意味をなさないものの文法的であり(is grammatical)、一方で文(2)は文法的でない(is not grammatical)。
この文が無意味であることがチョムスキーの論点の基盤だと思われがちであるが、そうではなく、どちらの文もかつて一度も具体的には存在していないことをあてにしているのである(統計的モデルとはそういうことである。即ち、既に存在している文からしか、統計的モデルは得られない)。また、誰かが適当で無理のない意味を与えようとも、あるいは、この表現を単独もしくは何かと組み合わせて誰かが口にするのは初めてであっても、そういったこととは無関係に、この2つの例の片方は構文的にありえる文であり、もう片方は構文的にありえない「非文」である、ということは明らかである(ように見える)。そしてこれは、人間の発話が、語の連続の統計といった、表面的な統計的モデルに基づくという見解への反例に用いられた。[要出典]
ただしこれは、チョムスキーが(ないし、生成文法が)コーパスを無視しているあるいは無用としている、ということでもない。「Colorless green ideas sleep furiously.」という文が、生成文法の観点から非文ではない(grammaticalである)ということもまた、字句的に全く同じ文が具体的・直接的には過去に存在していなくても、間接的には、同様な品詞の並びによる文が過去に多数存在していることが、英語の(生成文法による)文法の結局は根拠だからである。つまり技術的には、それを扱うには品詞などの情報が付加された、いわゆるタグ付きコーパスが要る。[要出典]
- ^ チョムスキー, ノーム (1957年). Syntactic Structures. ハーグ/パリ: ムートン社. p. 15. ISBN 3-11-017279-8
- ^ 趙, 元任. “Making Sense Out of Nonsense(無意味な言葉に意味を見出す)”. The Sesquipedalian(長大語)、第7巻32番(1997年6月12日). 2006年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年8月30日閲覧。
- ^ “LINGUIST List 2.457” (1991年9月3日). 2007年3月14日閲覧。
- ^ ペレイラ, フェルナンド (2000-04-15). “Formal grammar and information theory: together again?(形式文法と情報理論: 再び一緒に?)”. フィロソフィカル・トランザクションズ 358巻 (1769号): p.1239–1253. doi:10.1098/rsta.2000.0583 .. Language Logにあるこの投稿も参照。
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