24時間テレビ 「愛は地球を救う」 歴史

24時間テレビ 「愛は地球を救う」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 10:03 UTC 版)

歴史

本番組がスタートする前年(1977年)に行われた開局25周年記念番組の社内コンペにおいて、当時『11PM』のスタッフだった都築忠彦が、同番組にて放送されていた「巨泉の考えるシリーズ・世界の福祉特集」を下敷きとした企画を日本テレビに提案したところ採用された[8]。なお、アメリカラスベガスで毎年開催されていたチャリティーテレソン『レイバー・デイ・テレソン』を参考にしたという指摘もあり、当時同局制作局長の井原高忠も自身の著書においてそう主張しているが[9]、都築は『レイバー・デイ・テレソン』は特定の病気(筋ジストロフィー)のための募金集めであり、趣旨が異なることや(指摘されるまで)該当の番組を全く見ていなかったとして、それらの指摘を否定している[8]

  • 第1回(1978年) - 『日本テレビ開局25年記念番組・テレビ25年スーパースペシャル・24時間テレビ 愛は地球を救う』としてスタートした。
    • 放送時間は土曜日20:00 - 日曜日20:00の24時間。
    • 当時の民放番組のスポンサー体制は一社提供が主流であり、複数社が提供を行う形とした本番組の仕組みにスポンサーが難色を示していたことに加え、週末のゴールデンタイムの番組が固定されていた関係で、局内からも本番組の放送には反対の声が多かった。そのため1回限りの予定で放送されたが、募金額が予想以上に多かったこともあり、エンディングにフィナーレ会場の代々木公園へ顔を出して系列局・スポンサー・代理店・募金をしてくれた視聴者に感謝を述べた当時日本テレビ社長の小林與三次が、萩本欽一の「また来年もやってくれと言ってますよ」という問い掛けに対して「ご支持いただくなら何度でもやります!」と宣言し、その意向で翌年以降も開催することが決定した[10][11]
    • エンディングでは番組キャスターの大橋巨泉が「(募金額の)99%が1円玉、5円玉、10円玉だと思うんですね。金額は少なくとも量は。ということは、決して豊かでない人たちが僕たちの企画に賛成してくれて、募金してくれたと思うんです。僕が言いたいのは、福田(赳夫)総理大臣を始め、政府の方、全政治家の方に、本来はあなた方がやることだと思うんです。ですから、福祉国家を目指して良い政治をして頂きたいと思います」と時の政権に訴えかけ[11]、募金のために代々木に集まった観衆にも「お金を寄付したから終わりでは無く、一番大事なのは意識。強い者が弱い者を蹴飛ばすのではなく、弱い人たちと一緒に行く。そういう意識が大事だと思うんです。」と話した。
    • 募金総額は同年11月2日の『木曜スペシャル』にて「みなさんありがとう!こんなに集まりました。きっと誰かが幸せになれます。24時間テレビ ありがとう番組」のタイトルで放送された報告番組にて発表された[12]
  • 第2回(1979年) - テレビ熊本熊本県での放送を開始した。静岡県での放送が静岡けんみんテレビ(現:静岡朝日テレビ)から静岡第一テレビに移行した。西日本放送の放送エリア拡大に伴い、岡山県での放送を開始した。番組開始時刻を19:00、番組終了時刻を19:30にそれぞれ繰り上げた。
  • 第3回(1980年) - メイン会場として初めて日本武道館が使用された。徳光和夫が初めて総合司会を務めた。
  • 第4回(1981年) - テレビ信州長野県での放送を開始した。新潟県での放送が新潟総合テレビからテレビ新潟に移行した。
  • 第5回(1982年) - 熊本県での放送がテレビ熊本からくまもと県民テレビに移行した。
  • 第6回(1983年) - 「日本テレビ開局30年記念番組」として放送された。萩本欽一が全国のメイン会場などを回り、募金活動をする「ふれ愛の旅」がスタートした。
  • 第7回(1984年) - 前年まで長崎放送テレビ長崎での相互放送であった長崎県での放送がテレビ長崎に一本化された。
  • 第8回(1985年) - 番組開始時刻を17:30に繰り上げ、番組終了時刻を20:00に繰り下げた。これによって、土曜日も夕方のニュースが内包されるようになった。萩本欽一はこの年休養していたためレギュラー出演していた11年のうち、この年だけ出演していない。
  • 第9回(1986年) - 番組終了時刻を18:30に繰り上げた。
  • 第10回(1987年) - 「第10回記念番組」として放送された。番組開始時刻を19:00、番組終了時刻を20:00にそれぞれ繰り下げた。この年と第11回(1988年)は、番組と並行して昭和記念公園でチャリティーコンサートが行われた。
  • 第11回(1988年) - 「日本テレビ開局35年記念番組」として放送された。番組開始時刻を17:00、番組終了時刻を19:00にそれぞれ繰り上げた。この年から現在も続く「チャリティー笑点」がスタートした。
  • 第12回(1989年) - 番組開始時刻を12:00に繰り上げ(日本テレビと一部地域のみ)、放送時間が31時間となる。「グランドプロローグショー」は17:00から(この時間から開始する地域もあった)。この年の放送終了時の時点で、第1回(1978年)からの募金総額が100億円を突破した。また、第1回(1978年)から11回にわたりレギュラー出演してきた萩本欽一の「ふれ愛の旅」が終了し、レギュラー出演もこの年を最後に無くなる[13]
  • 第13回(1990年) - テレビ金沢の開局により、石川県での放送を開始した。これにより、全都道府県でのネット体制が確立した。この年から提供クレジットを全面表示から画面下部表示に変更。
  • 第14回(1991年) - 日本武道館の改修工事と、1991年世界陸上競技選手権大会の日テレ系独占放送[注 32]などの事情から、放送が7月末に繰り上がり、この年春に丸の内から移転した東京都庁舎の都民広場がメイン会場として使用され、新宿アルタ前の新宿ステーションスクエアでも募金受付を実施した。しかし、番組内容のマンネリ化が進んだことで募金額や視聴率が低迷し、責任を取る形で都築忠彦が同年を最後に番組から降板した。また、番組開始以来多数の番組挿入曲を提供し、音楽監督として参加してきた大野雄二も同年限りで番組から降板している。なお、同年の平均視聴率は6.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)で、過去最低を記録している。またこの年、長崎県での放送がテレビ長崎から長崎国際テレビに移行した。番組開始時刻を14:00に繰り下げた。また、提供クレジットに現在も続いているアニメーションが付く。
  • 第15回(1992年) - 番組の「テコ入れ」を図るため、以下のリニューアルを行い、番組のエンターテインメント化を図った。この改革は『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』や『マジカル頭脳パワー!!』を手掛けた「日本テレビクイズプロジェクト」のメンバー(小杉善信渡辺弘吉川圭三五味一男、及び番組制作会社ハウフルスの社長・菅原正豊)がこの回の総合演出・プロデューサー・ディレクターとして携わり、「同プロジェクトの成果・集大成」とされている[14]
    • 前年までは各コーナー毎に放送時間をはっきりと区切っていた[注 33]番組全体を1つのプログラムとして作られるようになり、タイムテーブル上のパート編成を開始した。これは、「クイズプロジェクト」のメンバーたちが何度となくブレーンストーミングを行った結論で、本番組がいつしか「それぞれのクオリティを重視するあまり、ドキュメンタリー・アニメ・バラエティなど12本にぶつ切りされた2時間番組を繋げていた」[注 34]という状態になっていたため、「24時間を1つの生放送のイベント番組」という原点に返ろうと考えたためである[15]
    • 「悲惨な現状を確認することも大事だが、今年は楽しみながら感動し、参加できるチャリティーを目指す」とし、従来のドラマやドキュメンタリーなどチャリティー色の強いものから、歌と音楽をテーマにしたシンプルな物に改められ、タイトルも「愛の歌声は地球を救う」に設定された。これは菅原の「武道館をカラオケの殿堂にしよう」という発案で生まれた企画である。ただし、この回では事前にオファーしたゲストが歌を披露する現在の形式ではなく、武道館に集まった出演者たちが思い出の歌99曲(100曲目に「サライ」が入る)を歌う「有名人歌声チャリティー」という形式であった。司会・パーソナリティなど前もって決められた出演者だけではなく、その出演者たちが生放送中に交流のある芸能人に電話を繋いで突然呼び出し、それに応じやってきた著名人も歌う。しかし、歌う曲はその時にならないと分からず、普段カメラの前で歌うことがない有名人までもが歌声を披露するという生放送ならではのハプニング性のある企画であった。[16][17]
    • チャリティーマラソンがスタートした。これは小杉が上記『マジカル』や『いつみても波瀾万丈』など当時の日本テレビの人気番組にレギュラー出演していたことから間寛平が欠かせないと考え、当時の寛平のマネージャーに話を持ち掛けたところ、マネージャー側から「24時間、うちの寛平を走らせたら」と提案されたことに始まる[18]
    • 新たな番組テーマソングとして、番組放送時間内で「サライ」が製作された。前年まで大野が作曲し使用されてきた、従来の番組挿入曲・テーマ曲がほぼ使用されなくなった[注 35]
    • 番組開始時刻を19:00、番組終了時刻を20:00にそれぞれ繰り下げた。土曜夕方のニュース枠も、この年以降は単独番組として放送している。
    • 提供クレジットから提供読み[注 36]が廃止され、代わりに提供社名の上下に「この放送は(ここからは・ここまでは・ひきつづき)」「の提供でお送りします(しました)」という文言が付く。(第42回まで)
    • 「歌」をテーマに設定したことから、音符をモチーフにした公式キャラクター「おたまジャクソン」が導入された。提供クレジットの際にもこの「おたまジャクソン」が登場し、日本テレビの各バラエティ番組にもセットにぬいぐるみが置かれる等の番宣を行った。第16回(1993年)には「おたまジャネット」も追加されたが、両キャラクターはこの2回限りで、以降は一切使われていない。
    • これらの企画が功を奏し、視聴率は17.2%と前年の最低記録から一転して当時としては歴代最高の記録を、瞬間最高視聴率も37.7%(共にビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を打ち出した[19]
    • 第1回(1978年)から放送されていた読売テレビ制作担当のコーナーは、この年を最後に放送されていない。このコーナーではこれまで大阪城公園大阪城ホールから、途中武道館などと中継を結びながらの「ひろがれ愛の輪 熱唱コンサート」などを放送してきたが、最後となったこの回は「全日本有線放送大賞」(現在のベストヒット歌謡祭)の過去のグランプリ受賞者などを迎えたコンサートが行われた。
  • 第16回(1993年) - 「日本テレビ開局40年記念番組」として放送され、タイトルも前年に引き続き「愛の歌声は地球を救う」として設定された。この回は前回の要素に加えて「ご対面」企画も軸に放送された。
  • 第17回(1994年) - この回に限り番組開始時刻を18:00に繰り上げた。鹿児島県での放送が鹿児島テレビから鹿児島読売テレビに移行した。これにより、現在のネット局体制が確立した。なお、この回は夜にJリーグ中継が挿入された。
  • 第21回(1998年) - 「日本テレビ開局45年記念番組」として放送された。
  • 第24回(2001年) - 番組開始時刻を18:30に繰り上げた。徳光和夫が同年6月に急性心筋梗塞の手術を受けたため、体調を考慮して土曜日深夜から日曜日昼まではみのもんたが総合司会を代行した。
  • 第25回(2002年) - 番組終了時刻を20:54に繰り下げた。以降の放送時間は一部の回を除き、土曜日18:30 - 日曜日20:54の約26時間半となっている。
  • 第26回(2003年) - 「日本テレビ開局50年記念番組」として放送された。
  • 第27回(2004年) - アテネオリンピックを中継する影響で土曜日19:30 - 日曜日21:24に放送される予定だったが、野球中継が延長したことやチャリティーマラソンのゴール時刻が遅れたことから、土曜日19:45 - 日曜日21:34に放送された。この年から東名阪エリアにおいて地上デジタル放送での放送が開始され、武道館の映像のみこの年からハイビジョン撮影[注 37]になる。
  • 第28回(2005年) - IYグループが協賛から撤退し、替わってイオンが参入した。平均視聴率が過去最高の19.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を記録した。
  • 第29回(2006年) - 本格的なハイビジョン制作を開始した[注 38]。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の人気企画だった「高校生ダンス甲子園」が復活した。
  • 第30回(2007年) - 新テーマソング「勇気のカタチ 〜私を変えてくれたあなたへ〜」が誕生した(翌年以降は使用されていない)。グランドフィナーレ中の20:52には、歴代最高となる瞬間最高視聴率43.9%を記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)[20]。この回はATP賞の特別賞を受賞し、10月23日に行われた授賞式には萩本欽一と徳光和夫が参加した。
  • 第31回(2008年) - 「日本テレビ開局55年記念番組」として放送された。
  • 第32回(2009年) - この回に限り、番組終了時刻を21:00に繰り下げた。日本武道館に代わり、東京ビッグサイトがメイン会場として使用された。日曜日が第45回衆議院議員総選挙の投開票日と重なったため、本番組終了直後の21:00からは『ZERO×選挙2009』を放送した[注 39]。PART10を例年とは異なり、19:59で打ち切ったうえで、投票締め切り1分前の19:59から20:05までの6分間は本番組を中断して『ZERO×選挙2009』のスタジオから出口調査の速報を報じた。再開後の最終パートであるPART11(20:05 - 21:00)ではL字型画面テロップで当落情報を随時伝えた。選挙特別番組との兼ね合いからメイン会場を変更したりローカル枠を縮小する地方局も多かった。
  • 第34回(2011年) - 前年まで長らく総合司会を務めてきた徳光和夫がチャリティーランナーに起用された。これにより総合司会には羽鳥慎一が起用された。この年は東日本大震災に伴ってチャリティー募金の受付開始時期を繰り上げたこともあり、第1回(1978年)以降上回ることがなかった年間募金総額が歴代最高を記録した[21][注 40]
  • 第35回(2012年) - この回に限り、番組終了時刻を21:09に繰り下げた。
  • 第36回(2013年) - 「日本テレビ開局60年記念番組」として放送された。
  • 第37回(2014年) - グランドフィナーレにあたるPART10(日曜日19:00 - 20:54)の平均視聴率が歴代最高となる31.5%を記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。
  • 第41回(2018年) - 「日本テレビ開局65年記念番組」として放送された。長らく行っていたFAXによる応援メッセージの投稿募集を廃止し、Twitterインスタグラムからの投稿のみに限定した。名称も『応援イラスト』と変更し、FAXと同様にイラストとメッセージを添えて送る形式となっている。
  • 第42回(2019年) - 2019年世界柔道選手権大会の開催と2020年東京オリンピックパラリンピックに向けた改修工事で日本武道館が使用できないため、メイン会場を両国国技館に移して行われた[22]。24時間チャリティー駅伝の第3区間走者として水卜麻美が選ばれた。現役の局アナおよび番組の総合司会が走るのは史上初となった[23][24]。水卜は準備のため深夜企画から席を外し、日曜日の早朝企画から「チャリティー笑点」開始までは代役を立てずに羽鳥が1人で進行した。
  • 第43回(2020年) - この年も引き続き両国国技館から放送されるが、新型コロナウイルス感染症の拡大が番組にも大きく影響した。
    • この回は「チャリティー笑点」のパートを除き無観客での放送となった。ソーシャルディスタンス確保のため会場にはMC席とメインステージ・企画セットに加えてパフォーマンス用のサブステージが設けられた。さらに例年行われていたチャリティーマラソンや中継でのチャレンジ企画、メイン会場入口からのゲスト紹介は中止となり、代わりに日本テレビ系列で放送しているニュース・情報・バラエティ番組とのコラボ企画やその番組の制作班担当のVTRが多数放送された。深夜企画も全編事前収録に変更された。なお、放送回数のカウントである第43回に変わりはないが、放送上は「新しい日常での第1回」と放送回数をリセットしている。
    • 募金活動に関しても非公開となるためメイン会場に入場してボランティアや出演者に募金を受け渡す方式はなくなった(同様にゲストの募金持ち込みもなくなっている)。募金に関しては会場などに行かなくても募金できるメリットがあるキャッシュレス方式が呼びかけられたが、従来の銀行振り込みやイオンなど協賛企業・系列各局の本社などでは現金の受付も行っている。
    • 日本テレビにおける日産自動車グローバル本社ギャラリー[注 41]をはじめ、系列各局でも例年行っていた大規模なチャリティーイベント・長時間ローカル枠の公開放送などを取りやめ、協賛店舗などでの募金活動のみへ縮小・ローカル枠自体も一部地域は自局のスタジオから非公開での放送、局によっては最小限にミニローカル枠のみへ縮小して、それ以外は全編日本テレビからのネットに切り替えた。
    • 放送を決行することになった理由を、リニューアルを行った第15回(1992年)のプロデューサーであり、上記「クイズプロジェクト」を経て同局の社長となっていた小杉善信は、放送前の7月に定例記者会見で「かねてからどんな形であろうとやると宣言しておりました。コロナの状況にあった、感染につながらない形で今回の24時間テレビをやるというのは変わりありません。番組の社会的意義。一度休止等すると、24時間テレビの援助、電動車いすやリフト付きバスなどが届かなくなる。毎年、待っていらっしゃる届け先に届けられなくなるということで、その使命を果たさなければということで、24時間テレビの精神をこの番組で伝え、視聴者の皆様に寄付を頂き、それをしっかりと一円残らず届けるということをまず実現するのが放送局としての使命であり、24時間テレビのもつ意味であると思っております」と説明した[25]
    • この回から提供クレジットの文言が無くなり、番組ロゴとチャリTシャツのCG(それ以前からあったが、左下からスポンサー名の上に変更された)とスポンサー名のロゴのみになった。
    • チャリティーマラソンとしては中止になっているため、今回は応援メッセージの募集が廃止された。
    • 国技館から放送する時間帯のみ、1階マス席上部にMC席を見渡す形で特設されたブースから、日本テレビの公式YouTubeアカウント、日本テレビが関与している動画配信サービス「hulu」、民放の番組配信サービス「TVer」での生配信企画「スペシャル募金ルーム」が行われた。こちらは指原莉乃チョコレートプラネットフワちゃん(4人とも両日にわたり)、近藤春菜(23日の朝まで)、松丸亮吾(23日の昼から)が司会を務め、国技館からの地上波向け放送にもほぼ全編にわたって出演した。



  1. ^ クロスネット局ではあるが、フルネット局と同様にほぼ全ての時間帯を同時ネットで放送する。
  2. ^ クロスネット局のため、日曜日の夕方に一時中断する時間帯があるものの、大部分の時間帯を同時ネットで放送する。
  3. ^ クロスネット局のため、土曜日のプライムタイムは同時ネットせず、日曜日の朝と夕方にも一時中断する。
  4. ^ 日本テレビ系列局ではないため、同時ネットするのは日曜日の未明・朝・昼の一部時間帯に限られている。オープニングやエンディングも同時ネットせず、多くの時間帯は放送しない。

注釈

  1. ^ 通常は白色で表示されるが、エンディングのスタッフロール表示時は黄色で表示される。
  2. ^ 第1回(1978年)のみモノラル放送
  3. ^ 対応は第40回(2017年)まではドラマスペシャルのパートのみ、第41回(2018年)からはPART1全編。
  4. ^ 第14回(1991年)のみ7月下旬に実施された。
  5. ^ a b c テレビ宮崎はNNSには非加盟。
  6. ^ a b c 沖縄県には日本テレビ系列局が無いため、唯一フジテレビ系列シングルネット局による参加となっている。
  7. ^ 第14回(1991年)までは『24時間テレビ「愛は地球を救う」○○』と、放送回数を末尾に表記したものが正式タイトルだった。
  8. ^ 第15回(1992年)・第16回(1993年)はタイトルを『24時間テレビ15(16)「愛の歌声は地球を救う」』とした。
  9. ^ 当時、終夜放送は緊急時(大規模な地震台風などの自然災害や、戦争紛争、交通ストライキなど)、ならびに近代オリンピックのうち、時差の関係で日本時間の深夜に開催されるヨーロッパ・アフリカやアメリカ大陸で開催する場合を除いて行われていなかった。第1回でスタジオ総合司会を務めた巨泉は、「これから24時間、今までやっていた通常の放送をすべてお休みにして、全く白紙に戻して、テレビが一体何ができるのかやってみたい。地球に住む我々が一体何が幸せかをかみしめたい。世の中にいる社会的弱者がテレビを通して役立つかどうか。テレビを通してチャリティーをやりたい」とのスピーチ(24時間テレビ(第1回 (1978))オープニング冒頭部分)をしている。
  10. ^ 第15回(1992年)・第16回(1993年)は、当時日本テレビのキャッチフレーズだった「みんなのなかに、私はいます。」が使われた。
  11. ^ 第40回(2017年)の番組内で久里自身が発言。しかし、番組スタッフのほとんどはこれを地球とと勘違いし、社内では「地球マーク」と呼ばれていた。
  12. ^ 土曜日19:45 - 日曜日21:34に放送された第27回(2004年)と土曜日18:30 - 日曜日21:09に放送された第35回(2012年)は除く。
  13. ^ 東日本大震災が発生した2011年以降は、大規模災害の被災者やその遺族に着目した企画も放送されている。
  14. ^ 近年のチャレンジ企画は他の日本テレビ系のレギュラー番組とのコラボレーション企画としての側面を持つものが増加傾向にある。
  15. ^ 但し、日本武道館が諸事情により使用出来ない年など、別の会場を使用するケースもある。実例は第14回(1991年)・第32回(2009年)・第42回(2019年)の3回。
  16. ^ 第1回(1978年)はグランドフィナーレ(代々木公園)の進行、第2回(1979年)はチャリティーパーソナリティー、第34回(2011年)はチャリティーマラソンランナー、第35回(2012年)は出演者のひとり、第36回(2013年)以降は24時間テレビサポーターとして参加している。
  17. ^ a b 但し、インターネット募金をする際に発生するクレジットカード決済と携帯キャリア決済のシステム利用料は寄付金から差し引かれる。この事については公式サイトでも明記されている。
  18. ^ 日産ギャラリーNISSAN CROSSING日産販売会社ショールームブルーステージレッドステージレッド&ブルーステージ日産自動車販売日産フォークリフトなど)、日産カレストイオングループ各店舗、住友生命各支社来店窓口、東洋水産各支店・営業所・工場・特設会場、ヤクルト本社・各支店、ライオンオフィス・事務所・特設会場、読売新聞販売店(YC)、草の根チャリティーネットワーク、新宿高島屋・大宮髙島屋、日本橋三越本店、横浜・川崎モアーズ町田東急ツインズ、藤沢・小田急百貨店東京駅一番街ツリービレッジなど。
  19. ^ ゆうちょ銀行三井住友銀行三菱UFJ銀行みずほ銀行イオン銀行auじぶん銀行など。イオン銀行とauじぶん銀行以外は、民営化前の郵便局並びに三井銀行住友銀行太陽神戸銀行(三井住友銀行の前身)、三菱銀行三和銀行(三菱UFJ銀行の前身)、富士銀行第一勧業銀行(みずほ銀行の前身)の時代にあたる開始初期から参加している。
  20. ^ 2017年頃から『フジネットワーク・サザエさん募金』の愛称を使用。
  21. ^ 1999年CM間引き問題で、日本民間放送連盟NNSの会員資格を除名・停止させられた際には、自主的な募金活動を自粛した。
  22. ^ テレビ朝日系列(サブ)とのクロスネット局でもあるが、テレビ朝日系列の一般番組供給部門には非加盟で、日本テレビの公式ウェブサイト上でも単独ネット扱い。
  23. ^ 放送対象地域は福岡県のみだが、募金活動や各種支援活動、福祉車両の贈呈などについては福岡県・佐賀県の両県を対象地域としている。
  24. ^ a b 1997年のCM間引き問題で、福岡放送が日本民間放送連盟・NNSの会員資格を除名・停止させられた際には自主的な募金活動を自粛し、くまもと県民テレビが九州地区幹事局を代行した。
  25. ^ 現在のNST新潟総合テレビ(NST)。
  26. ^ 現在の静岡朝日テレビ(SATV)。
  27. ^ アニメスペシャル『100万年地球の旅 バンダーブック』については、静岡放送(SBS)が10:30 - 11:25に短縮版を放送した。
  28. ^ オープニングから日曜日の早朝まで放送。第5回(1982年)は長崎大水害発生の影響を受けて参加を自粛し、テレビ長崎のみが参加したが、この時もテレビ長崎は前半部分をネットせず、後半のみの放送になった。
  29. ^ 第1回(1978年) - 第6回(1983年)は日曜日の早朝からエンディングまで放送。第7回(1984年) - 第13回(1990年)は24時間放送。
  30. ^ ビデオリサーチ社による。番組表上ではPART1、ドラマスペシャル、PART2は一括でPART1扱い、PART8 - PART10は一括でPART7扱いで若干異なる。
  31. ^ PART2開始より早く終わった場合には自社発のローカル枠で穴埋め。
  32. ^ 1987年から1995年まで世界陸上は日テレが放送権を所有していた。1997年からは現在のTBSに移行している。なお、第16回(1993年)にも世界陸上の開催期間と当番組の放送がバッティングしていたが、この時は深夜帯に内包することで対応した。
  33. ^ なお、各コーナー内でも、他系列の番組や自社制作番組を放送するネット局の飛び乗り・飛び降りに配慮し、区切りの部分が設置されていた。「グランドプロローグショー」や「グランドフィナーレ」は2 - 3部制で対応していた。なお、この回以降も暫くは、時間帯によって県政番組などをずらせない事情で飛び降りせざるを得ない局も発生していた。現在はそれらの番組を別日に振り替えたり休止にすることでクロスネット局以外はローカル枠を除いて全て日本テレビからのネットに統一されている。
  34. ^ ただし、実際はすべてが2時間編成というわけではない。
  35. ^ 一部系列局では、この年まではローカル枠・協賛CMでも使用されていた。
  36. ^ 第14回(1991年)までは「このコーナーは…」で始まる提供読みがあった。
  37. ^ 放送時はアナログ・デジタル共にサイドカットされ、日本テレビ・中京テレビ・読売テレビのデジタル放送は、左右を黄色(英文ロゴが並べられており、右下にはシンボルマークを配置)のサイドパネルで対応。なお、収録映像自体は、サイドカットされずハイビジョンで保存されている。
  38. ^ 地上デジタル放送では、この年からサイドカットせずに16:9で放送。なお、VTR映像やネット局など一部の中継は後年までに順次整備された。
  39. ^ NHKと民放5系列の中で、20時台から選挙特番を編成しなかった局は日本テレビ系列のみであった。
  40. ^ 「東日本大震災緊急募金」に寄せられた義援金を含む。
  41. ^ 放送直前の8月18日にギャラリー従業員に感染者が発生したことを受け、ギャラリー自体も22日まで臨時休館となった。
  42. ^ 同一コンビでの総合司会は第43回(2020年)現在、歴代最多回数。
  43. ^ 高畑裕太も出演予定だったが、不祥事により出演がキャンセルとなった。
  44. ^ 当日発表のチャリティーマラソンランナーに任命されたため、サポーターとしての出演は番組冒頭のみだった。
  45. ^ 以前はメインパーソナリティーが先に登場してから各出演者を呼び込み、一言ずつ挨拶しながら登場していたが、近年は歌いながら登場することが多い。第42回(2019年)は各中継地点に分散してのスタートとなった。
  46. ^ 外部の施設やイオンモールをメイン募金会場にしている局ではメイン会場の受付・入場時間内は会場から放送し、使用できない深夜から早朝の時間帯は自局のスタジオから放送する。
  47. ^ メイン会場が使用できない深夜帯を除く。
  48. ^ 第10回(1987年)からはVTR。
  49. ^ このアイキャッチは2000年代初期まで毎年変えながら続いた。
  50. ^ 第1回(1978年)は日本テレビGスタジオから進行の大橋巨泉竹下景子の2人がチャリティーの方法を案内していた。また、地方局に切り替わる際は「各局の皆さん準備はよろしいですか?」と呼びかけていた場面もあった。
  51. ^ 読売テレビ中京テレビ福岡放送など。特に読売テレビは一時期差し替えの頻度が高く、マラソンゴール直前のメドレー部分からエンディングを神戸・京都・奈良・大阪の会場からリレーで最後の挨拶を行う中継や後述のスタッフロールに差し替えていた時期もあった。
  52. ^ 第33回(2010年)・第37回(2014年)は手術明けだったため、常時の併走は見合わせた。第42回(2019年)はマラソン用中継車の放送席にて解説も行った。
  53. ^ 第32回(2009年)の東京ビッグサイトでは階段を設けず、モザイクアート企画で制作したゴールゲートが左右に開く形式をとった。第42回(2019年)の両国国技館では、長い通路を経てから国技館に常設された階段を通ってゴールした。
  54. ^ a b 第29回(2006年)・第31回(2008年) - 第33回(2010年)。
  55. ^ 第42回(2019年)・第43回(2020年)は両国国技館の通路。
  56. ^ 年によっては、ランナーの関係者も共に出演するケースがある。
  57. ^ 第43回(2020年)は募金ランの会場が離れていた関係から、高橋らはマラソン会場から中継での出演となった。
  58. ^ 第36回(2013年)・第37回(2014年)は『24時間テレビ マラソン&深夜しゃべくりの裏側SP』として2部制で放送された。
  59. ^ 通常は親サブの汐留S1サブにて実況・レポーターのアナウンサー・チャリティーランナー・坂本で番組を進める。第42回(2019年)はチャリティーランナー4名と坂本のみで進行。第43回(2020年)はランナーを呼ばず、生放送パートも無かった(終盤に実況・リポートのアナウンサーがコメントする部分のみ生放送)。
  60. ^ りんごちゃんも含まれてたが、直前のメディカルチェックでドクターストップとなり断念し、会場での進行及び応援する側に回った。
  61. ^ サポートメンバーとして太鳳の姉・土屋炎伽が参加していた。
  62. ^ 直後に放送された『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は前半コーナーの一部をカットするなど放送時間を短縮し、21時以降は通常編成となった。
  63. ^ 日本テレビでは『音のソノリティ』及び前後のステブレCM枠。
  64. ^ 第29回(2006年)・第30回(2007年)・第36回(2013年)・第37回(2014年)には陸上十種競技マスターズ日本記録に挑戦した。第36回(2013年)以後は24時間テレビサポーターなどとして武道館に毎年参加している。
  65. ^ ランナーはトレーナーの坂本が決めた。番組史上初の試みで、本人にも知らされていなかった。
  66. ^ スイムは土曜日12:00 - 13:30の『メレンゲの気持ち』(一部地域では非ネット)内、自転車は土曜日15:30 - 16:55の事前番組(一部地域では非ネット)内、ランは本編開始後にスタート。
  67. ^ 水卜本人含めた4人には事前告知済。
  68. ^ 第42回(2019年)は両国国技館のロビー。
  69. ^ 第15回(1992年) - 第19回(1996年)・第22回(1999年)・第23回(2000年)は除く。
  70. ^ 第1作目の『機の音』(脚本:倉本聰)は「118歳で機織りを続ける日本最高齢者」を主人公とするフィクションである。
  71. ^ 長きに渡ってモノラル多重音声を実施していたが、第40回(2017年)よりステレオ多重音声を実施している。第41回(2018年)からはドラマスペシャルを含むPART1(オープニングから深夜企画の途中まで)全編が多重音声に対応するようになったが、実際に多重音声を実施しているのは、従来通りドラマスペシャルのみである。
  72. ^ 『24時間テレビ』放送前日の『金曜ロードショー』で特別企画として放送された。
  73. ^ ドラマ後は深夜企画の最中であるが、番組表上では深夜企画に挿入される『NNNニュース』後の1時45分までがPART1、1時45分から早朝企画開始までがPART2、早朝企画開始から『NNNニュースサンデー』開始までの時間帯がPART3。PART2終了・PART3開始は年によって異なるため詳細な時間はここでは省略する。
  74. ^ 第37回(2014年)までは翌5時半、第38回(2015年)、第43回(2020年)は翌5時、第39回(2016年)から第41回(2018年)までは翌4時、第42回(2019年)は翌4時30分まで。
  75. ^ 第28回(2005年)までは麹町Gスタジオ、第29回(2006年)から第41回(2018年)は汐留S1・S2スタジオ
  76. ^ 第1回(1978年)は通常通りスーツとネクタイを着用していた。
  77. ^ 第39回(2016年)までは日曜日1:10 - 1:45に『Going!Sports&News』(それ以前は『NNNきょうの出来事』『スポーツうるぐす→SUPERうるぐす』)の特別版として放送されていた。深夜企画のスタジオに『Going!』のキャスター陣が出演し、メインパーソナリティーや深夜企画の進行役がゲスト出演していた。第40回(2017年)から第42回(2019年)までは日曜日1:38 - 1:45に放送された。
  78. ^ 『きょうの出来事』時代の1990年代初期までは当時の土曜日の定刻通りに開始した短縮版で放送されていた。また、報道スタジオにはその年の出演者がゲスト出演することもあった。
  79. ^ 第39回(2016年)までは6:45 - 6:57。
  80. ^ テレビ宮崎は朝のニュースはFNNから供給を受けるため、日曜朝に通常時ならばフジテレビと同時ネットの『FNNニュース』をこの日に限り時差ネットしている。
  81. ^ テレビ宮崎と福井放送は昼のニュースをANNから供給を受けているため、昼の長時間ローカル枠内で『ANNニュース』を通常通り放送している。
  82. ^ テレビ大分は昼のニュースをFNNから供給を受けているため、昼の長時間ローカル枠内で『FNN Live News days』を通常通り放送している。
  83. ^ このコーナーを含め6時台途中までは武道館の外から放送している。第39回(2016年)以降は4時台・5時台を汐留日本テレビ・マイスタジオ等から放送している。冒頭に総合司会とパーソナリティが「全国の皆さん、おはようございます。」と挨拶する。また、この時間帯にヨネスケ柴田理恵がメイン会場を訪れることが恒例になっている。回によっては朝7時頃に徳光が登場し、当時の演出を再現する形で行うこともある。
  84. ^ かつては笑点チャリティー大喜利終了後にも中間報告を行っていた回もある。
  85. ^ 第36回(2013年)・第37回(2014年)・第41回(2018年)など、放送されない回もある。
  86. ^ 第37回(2014年)・第38回(2015年)が該当。
  87. ^ 第41回(2018年)が該当。同年7月に慢性閉塞性肺疾患で死去したため。
  88. ^ 第32回(2009年)は放送日がアリスのコンサート開催日と重なったため、谷村は欠席し、加山のみが出演した。
  89. ^ 各局会場ではローカル枠・イベントの出演者やスタッフ・ボランティア等が勢揃いして「サライ」を歌い、放送ではその模様が数秒ずつリレー中継される。必ずと言っていいほど局ロゴもしくは地名(日産本社ギャラリーは「NISSAN」ロゴ)が書かれた巨大なパネルを見せるのが恒例。メイン会場がイオンモール専門店街で閉店時間が21時の場合、もしくはイベントが夕方に終わる局の場合は、自局のスタジオに移動して対応することが多い。なお、沖縄テレビはこの時間はフジテレビ系の番組の同時ネット枠であるためこの中継には参加していない。また、静岡第一テレビと福岡放送が前述したCM間引き問題による自粛時はイベントそのものが開催されなかったためこの中継にも参加しなかった。2020年は前述の通りイベントが全局取りやめとなったため、スタジオあるいはロビーから中継し、人数も少なくなっていた。
  90. ^ かつてはチャレンジなど各企画の中継先でも行っていたが近年は無くなっている。
  91. ^ 第19回(1996年)・第22回(1999年)・第28回(2005年)・第43回(2020年)など放送時間内に歌唱が終わったケースもある。かつてはこの映像の後、CM・提供クレジットを挟んで「LOVE SAVES THE EARTH」をBGMにエンドロール(出演者・コーナースタッフ等)を流し、「そして、本当にこの番組を作ったのは…あなたです。」というメッセージを出して終了となった。
  92. ^ 第10回(1987年)・第11回(1988年)は除く。
  93. ^ 第37回(2014年)は予選大会を勝ち抜いた7チームが当日の午前中にチャリティーイベント会場(日産グローバル本社ギャラリー)で準決勝を行い、その内5チームが決勝に進出した。
  94. ^ 第36回(2013年)までは電話投票
  95. ^ かつて番組内で日曜日の朝に放送されていたアニメスペシャルを「スミセイ・アニメスペシャル」の冠タイトルで提供していたことがある。
  96. ^ なお、日本テレビホールディングス傘下には日テレ7が存在しており、同社で『女神のマルシェ』(日本テレビテレビ信州札幌テレビのみ放送)の番組制作、運営を行っている。
  97. ^ 字幕放送CMで実施。
  98. ^ 当時は黄色い私服を着用する人がいなかったため。なお、私服がカラフルになるのは1980年代後半のバブル景気頃である。「一目で24時間テレビだと分かる目立つ色」という利点が反映され、他局・他の媒体でも24時間テレビを指す暗喩の演出として『サライ』『負けないで』と共にチャリTシャツを模したものが登場する事がある。
  99. ^ 「Tree Village」(東京スカイツリータウン東京ソラマチ内)、よしもと各劇場(よしもとテレビ通り渋谷店・新宿店・NGK店神保町花月、よしもとたのむヮ買うてぇ屋 道頓堀店)、よみうりランド(グッズショップ「よみうり本舗」)、ランキンランキン自由が丘店・あざみ野店・北千住店・ekimoなんば店)など。
  100. ^ きゃりーぱみゅぱみゅ、阿萬暖々果、川島義徳、山中伸弥高橋宗司、ゆめ花、松浦敬一、大川香菜、桂歌丸山崎直子、TAKA、重松夏帆・山本美歩、上地結衣、小栗楓子、羽生結弦
  101. ^ 第31回(2008年)までは旧・日産本社ギャラリー及び日産銀座ギャラリー(現:NISSAN CROSSING)。第34回(2011年)は日産スタジアム東ゲート前広場で開催された。第43回(2020年)は同年限定で日産本社近隣に設けられた「NISSAN PAVILION Yokohama」での開催となったが、新型コロナウイルス感染症対策のため一切観客を入れず(NISSAN PAVILION Yokohama自体を、放送日の8月22日・23日を臨時休館扱いとして)、YouTubeの日産公式チャンネルでの生配信として行った。
  102. ^ 第13回(1990年)以前は、日中に事前収録したものを土曜深夜(ドラマスペシャル終了後)に『チャリティー報告』のタイトルで放送していた。当時は出演者の一人がチャリティー委員会の代表という形で出演していた。
  103. ^ 第37回(2014年)、日本テレビの場合。
  104. ^ 第32回(2009年)は『ZERO×選挙2009』を放送したため、同番組は休止となった。
  105. ^ インストゥルメンタルアレンジ版、イントロ部分のみ。

出典

  1. ^ 『福島民報』、1988年08月27日朝刊、22面、紙面下部の福島中央テレビの当番組番宣広告より引用。
  2. ^ 青森放送のイベントサイト 2018年08月19日閲覧。
  3. ^ 社会福祉法”. e-Gov. 2019年12月25日閲覧。
  4. ^ 「24時間テレビチャリティー委員会」に公益認定
  5. ^ a b c d e 福祉車両進呈 - 24時間テレビチャリティー委員会
  6. ^ 24時間テレビ「42年のあゆみ」 - 24時間テレビチャリティー委員会
  7. ^ 18:45頃からは県内ローカル放送を行い、19:00に番組が一旦終了する。
  8. ^ a b 「タモリさんも僕も偉そうなのが嫌いだった」『24時間テレビ』生みの親が語る、番組が始まった頃”. 週刊文春. pp. 2-3 (2019年11月24日). 2020年11月30日閲覧。
  9. ^ 井原高忠 『元祖テレビ屋大奮戦!』(文藝春秋、1983年)5章3節。
  10. ^ 週刊昭和タイムズ』第15号。
  11. ^ a b 『24時間テレビ』続く理由 初回・高校生の一言からの大拍手、NEWSポストセブン、2015年8月22日。
  12. ^ 『福島民報』1978年11月2日付朝刊、8面、テレビ欄。同9面、みもの欄。
  13. ^ 以降は後述するチャリティーマラソンを除くと、第15回(1992年)、第20回(1997年)、第28回(2005年)、第31回(2008年)、第32回(2009年)、第34回(2011年)、第40回(2017年)にゲストとして出演。
  14. ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.35
  15. ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.27
  16. ^ 「ゴンドラ・歌と音楽中心に楽しく」『読売新聞』1992年8月29日朝刊、第28面より引用。
  17. ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.28
  18. ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.29
  19. ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.34
  20. ^ 日刊スポーツ、2007年8月21日付。
  21. ^ 24時間テレビ34「愛は地球を救う」募金報告 総額は歴代最高の19億8,641万4,252円
  22. ^ 嵐 新元号最初の大役「新時代にふさわしい24時間テレビを作りたい」”. スポニチアネックス (2019年3月17日). 2019年3月17日閲覧。
  23. ^ 水卜麻美アナが「24時間駅伝」走る!総合司会で初のランナー挑戦…よしこ、春菜、水卜、あさこの順でタスキリレー”. スポーツ報知 (2019年8月24日). 2019年8月24日閲覧。
  24. ^ 総合司会経験者としては第30回(2007年)の萩本欽一、第34回(2011年)の徳光和夫に続き3人目。
  25. ^ “24時間テレビ「どんな形でもやる」社会的意義語る”. 日刊スポーツ. (2020年7月27日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202007270000461.html 2020年8月9日閲覧。 
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  28. ^ 『朝日新聞』、1979年08月25日朝刊、41面、テレビ欄。
  29. ^ 『24時間テレビ』今年は“24時間募金ラン”を実施 発起人は高橋尚子”. ORICON NEWS (2020年8月16日). 2020年8月16日閲覧。
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  32. ^ “24時間TV「募金ラン」チームQの2人目走者は吉田沙保里「走るしかない」”. マイナビニュース (マイナビ). (2020年8月23日). https://news.mynavi.jp/article/20200823-1242853/ 2020年8月23日閲覧。 
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  34. ^ 24時間テレビ歴代マラソンランナー&やらせ真相まとめ!西村知美ワープ事件とは
  35. ^ 「24時間テレビ」マラソンランナーを追う「24時間マラソン追跡団」はどんな人たち? メンバーに聞いてみた
  36. ^ 今年も24時間マラソンランナーの現在位置がわかるアカウント登場!MAPでわかりやすいぞ
  37. ^ “24時間マラソン挑戦のイモト、中継されず不満広がる”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2009年8月31日). http://www.j-cast.com/2009/08/31048514.html 2011年7月9日閲覧。 
  38. ^ 自己批評・検証番組『あなたと日テレ2009年9月6日放送分より
  39. ^ 「ゴンドラ・歌と音楽中心に楽しく」『読売新聞』1992年8月29日付朝刊、第28面。
  40. ^ GODIEGO UNOFFICIAL WEBSITE(2017年7月24日閲覧)
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  46. ^ 岩下恭士 (2016年9月17日). “全盲記者・岩下恭士のユニバーサロン「感動ポルノ」は要らない /東京”. 毎日新聞地方版. http://mainichi.jp/articles/20160917/ddl/k13/070/006000c 2016年9月17日閲覧。 
  47. ^ 今一生. “24時間テレビを感動ポルノと批判した「バリバラ」の快挙”. iRONNA. 2016年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月17日閲覧。
  48. ^ テレビ朝日系列(サブ)とのクロスネット局でもあるが、テレビ朝日系列の一般番組供給部門には非加盟で、日本テレビの公式ウェブサイト上でも単独ネット扱い。




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