2012年の白馬岳大量遭難事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 00:37 UTC 版)
概要
5月5日午前中、新潟県、長野県、富山県の3県に跨る「三国境」付近の稜線で、60代から70代の男性医師6人が倒れているのを登山者が発見したのが発端となって遭難事故が発覚した[1]。発見時点で全員の服装がいずれもTシャツや雨具のような薄着、かつ全身が凍結したような状態であったことから「山を甘く見た登山初心者(の、集団)だったのでは」との見方があった[1]。
しかし、死亡した医師の所属していた医師会の仲間によれば、70代で登山を始めた1人を除き、大学時代から登山を継続した者、日本国内3,000メートル級山頂をほぼ制覇した者、アフリカ最高峰キリマンジャロ(標高6,000メートル弱)登頂成功者、アルプスマッターホルン(標高4,000メートル級)登頂経験者というベテランが揃っていた[1]。また、長野県の白馬村山岳遭難防止対策協会(遭対協)への取材の結果、一行は非常用の防寒装備としてダウンジャケットやツェルト(簡易テント)を携行していたことがわかった[1]。5月7日にこれら遭難者の携行した荷物、60リットルサイズのリュック4個を回収した山岳関係者によれば、全てのリュックに薄いダウンジャケットが入っており、発見現場にはツェルトが残っていたこともあり「全然軽装じゃない」と断言している[1]。
そして、6人が栂池ヒュッテを出発した5月4日午前の白馬岳周辺は晴れ上がって汗ばむほどの気温だったが、午後から天候は急変し、降雨の後に猛烈な吹雪となったことがわかっている[1]。また、発見地点は白馬大池を過ぎて稜線を上がった地点であり、風から隠れる場所がなく、そしてビバークのために雪洞を掘ろうとしても雪が硬すぎ、そして十分な積雪量もなく、携行したツェルトもリュックから出して使おうとした形跡が見られるに留まる状況だった[1]。
だが医師6人という編成であり、低体温症の知識を当然持っていたはずの遭難者たちが全身が凍りついた状態で発見されたことについて、もともと遭難者全員の年齢が中高年であり低温抵抗力が落ちているところに、天候急変かつ降雨後の猛吹雪に晒されて低体温症の症状が急速に進行、判断力が低下する重症化が急激に進んだ状況で防寒装備を使用する判断タイミングを失ったことであると考えられている[1]。
6人は全員が登山ルート上に、そしてひとかたまりになって倒れており[2]、長野県警察の山岳救助隊員は「避難する場所もなく、天候が急変し『これはまずい』と思った時には間に合わず、歩行中に行き倒れた」と推測している[3]。
この遭難事故は「気象遭難」に分類されるものであり、急変した厳しい気象条件の下に晒される状態に陥った結果、雨と吹雪に晒されたことによって低体温症を引き起こしたことが主な要因である[1]。
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