1997年大韓民国大統領選挙
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選挙結果
- 投票日:1997年12月18日
- 投票率:80.6%(投票者数:26,041,076/有権者数:32,290,416[2])…前回(81.9%)より1.3%の減少。
順位 | 当落 | 候補者 | 政党 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 当選 | 金大中 | 新政治国民会議 | 10,326,275 | 40.27% |
2 | 李会昌 | ハンナラ党 | 9,935,718 | 38.74% | |
3 | 李仁済 | 国民新党 | 4,925,591 | 19.20% | |
4 | 権永吉 | 国民勝利21 | 306,026 | 1.19% | |
5 | 申正一 | 統一韓国 | 61,056 | 0.23% | |
6 | 金漢植 | 正しい政治 | 48,717 | 0.18% | |
7 | 許京寧 | 共和党統一韓国 | 39,055 | 0.15% |
- 出典:自治体国際化協会CLAIRREPORT167号「大韓民国の第15代大統領選挙について」の第4章の表「候補別開票結果(最終)」。
地域名 | 金大中 | 李会昌 | 李仁済 | |
---|---|---|---|---|
首都圏 | ソウル特別市 | 44.9 | 40.9 | 12.8 |
仁川広域市 | 38.5 | 36.4 | 23.0 | |
京畿道 | 39.3 | 35.5 | 23.6 | |
江原道 | 23.8 | 43.2 | 30.9 | |
忠清道 | 大田広域市 | 45.0 | 29.2 | 24.1 |
忠清北道 | 37.4 | 30.8 | 29.4 | |
忠清南道 | 48.3 | 23.5 | 26.1 | |
湖南(全羅道) | 光州広域市 | 97.3 | 1.3 | 0.7 |
全羅北道 | 92.3 | 4.5 | 2.1 | |
全羅南道 | 94.6 | 3.2 | 1.4 | |
嶺南(慶尚道) | 釜山広域市 | 15.3 | 53.3 | 29.8 |
蔚山広域市 | 15.4 | 51.4 | 26.7 | |
大邱広域市 | 12.5 | 72.7 | 13.1 | |
慶尚北道 | 13.7 | 61.9 | 21.8 | |
慶尚南道 | 11.0 | 55.1 | 31.3 | |
済州道 | 40.6 | 36.6 | 20.5 |
- 出典:自治体国際化協会CLAIRREPORT167号「大韓民国の第15代大統領選挙について」の「地域別候補者得票率」。なお本表を作成するにあたり地域毎に配列を変更した。
解説
金大中候補が李会昌候補を1.6%という僅差で破って悲願の当選を果たした。金大中の勝因としては、与党新韓国党の党内選挙に不満をいただいた李仁済が、脱党して選挙に挑んだことで与党の強固な地盤である嶺南地域の票が李会昌と李仁済の間で分裂した事、また忠清道地域に強い影響力を有している金鍾泌と選挙協力を結んだことで首都圏や湖南地域だけでなく忠清道地域でも金大中が李会昌に勝利できたこと等が挙げられる。しかし、嶺南地域における金大中の得票は20%に満たず依然として嶺南地域における反金大中感情の強さも示された。
金大中と金鍾泌の協力(DJP連合)、李仁済の立候補による与党支持票の分散、金泳三大統領と後継候補であるはずの李会昌の確執、アジア通貨危機による与党への逆風、これらのうち一つでも欠ければ金大中の当選は難しかったと言われている[3]。
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