1795年8月22日の海戦
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1795年8月22日の海戦 | |||||||
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フランス革命戦争中 | |||||||
エイゲローヤ沖のバタヴィアの敗北 ニコラス・ポコック作 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
グレートブリテン王国 | バタヴィア共和国 | ||||||
指揮官 | |||||||
ジェームズ・アルズ | |||||||
戦力 | |||||||
フリゲート艦3、戦列艦1 | フリゲート艦2、カッター船 | ||||||
被害者数 | |||||||
戦死5、負傷18 |
少なくとも2人が戦死 15人が負傷 アリアンテ拿捕 | ||||||
イギリスのフリゲート戦隊の指揮官はジェームズ・アルムズであった。アルムズは1795年にスカゲラク海峡の入口を巡回していて、ノルウェー沿岸の北に3隻の艦を発見した。その間が何であるかを確かめるべく近寄ったところ、2隻のフリゲートと1隻のカッターから成るバタヴィアの戦隊であることが分かった。自分たちよりも大きなイギリス戦隊に直面して、バタヴィア戦隊は向きを変え、ノルウェーの沿岸を南東に逃げた。イギリス戦隊は南の方向からオランダ戦隊に接近し、オランダ戦隊を、中立国デンマークの支配下にあるノルウェーから離岸させようと苦心した。16時15分、イギリス戦隊の先頭にいたスタッグが、オランダ戦隊最後尾のアリアンテに追いついて交戦した。「スタッグ」以外のイギリス艦はオランダ戦隊の追跡を続けた。「アリアンテ」は1時間ほどは力でよりまさる「スタッグ」相手に持ちこたえたが、結局降伏を余儀なくされた。オランダ艦隊の他の艦は、フリゲートアルホが後衛で激しく戦ったおかげで、エイゲローヤの安全な港にたどり着けた。
- ^ Chandler, p. 44
- ^ Woodman, p. 53
- ^ Gardiner, p. 170
- ^ a b c d Gardiner, p. 183
- ^ a b "No. 13809". The London Gazette (英語). 29 August 1795. p. 896. 2012年4月7日閲覧。
- ^ a b Clowes, p. 493
- ^ a b c James, p. 292
- ^ James, p. 293
- ^ Brenton, p. 93
- ^ "No. 14050". The London Gazette (英語). 30 September 1797. p. 950. 2012年4月7日閲覧。
- ^ Gardiner, p. 176
- 1 1795年8月22日の海戦とは
- 2 1795年8月22日の海戦の概要
- 3 歴史的背景
- 4 戦闘
- 5 アリアンテの拿捕とオランダ戦隊の逃走
- 6 参考文献
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