鯨岡阿美子
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アミコファッションズ
1964年(昭和39年)鯨岡阿美子の考えに共鳴した東急グループの五島昇が「金は出すが、口は出さない」と東急文化会館(現在は渋谷ヒカリエ)6階に事務所を与え、東急の社員2名を送り込む。「日本に既製服の時代をもたらす」ことに取り組む。ちゃんとした既製服を作るには人台(ボディ)で立体的に型を取る立体裁断(ドレーピング)技術が必要で、そのためにパターンメーカー(パタンナー)要請が急務だった。当時日本には立体裁断を教える人はなく、アメリカに出向きザ・ファッショングループからプラット・インスティテュートの教授、大野順之助を紹介され招聘する。またアミコファッションズは戦後ファッション界の草分け的存在となり、三宅一生ら多くのデザイナーに影響を与え、日本のプレタポルテの黎明期に活躍した。きもの姿でパリコレクションの取材に出かけ、各国のマスコミやメディアの注目を集めた逸話もある。
ザ・ファッショングループ
ザ・ファッショングループは1928年にファッション業界、その関連業界で働く女性のためにニューヨークに本部が設立された非営利団体。1967年鯨岡阿美子が委員長となりザ・ファッショングループ東京支部設立準備委員会が作られ、1969年(昭和44年)に東京支部が承認される。会長は鯨岡阿美子、役員に坂野惇子(ファミリア創業者)、岩田糸子(岩田硝子社長)、小林照子(小林コーセー)、田中千代(田中千代短大学長)、花井幸子(デザイナー)といった業界最前線の女性達がならぶ。会員数は約100人で発足し、アパレル業界だけでなく、化粧品、アクセサリー、教育、経営、企画・宣伝、製造・販売と多彩な分野の人材を集める。
毎日ファッション大賞・鯨岡阿美子賞
1990年(平成2年)生前選考委員長を務めていた毎日ファッション大賞に鯨岡阿美子賞が新設された。鯨岡阿美子賞の選考要綱はファッション界にあって、長らくその発展に寄与し、功績のあった人(グループ)。テキスタイルデザイナー、ジャーナリスト、研究者、コーディネーターなど分野を問わない。ただし、ファッションデザイナーは含まない。
- 1 鯨岡阿美子とは
- 2 鯨岡阿美子の概要
- 3 経歴・年譜
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