高原に列車が走った 評価

高原に列車が走った

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/13 06:19 UTC 版)

評価

桂千穂は「あれ程、美保純を生かそうとして作った映画はないのでしょうか。美保の代表作と思う。でも美保のコメディを存える方に徹底するか、真面目に、国鉄が地方路線を切り捨てるのは過疎地域にとっては致命的な問題を孕んでいるということを訴えるか、どちらかにしないといけなかったと思う」[8]、井出俊郎は「田舎の町に先生が来てー という話は僕も何度かやったけど『坊ちゃん』なんだよ。だから面白くなる設定なんだけどねえ」[8]、押川義行は「列車増発運動という、実際に展開された住民運動がテーマだから、ヘタをすれば文化映画になり兼ねないと製作関係者が恐れたと聞く。美保純を主役に持ってきた着想は悪くない。彼女の天衣無縫な言動が、いつしか社会問題に関わっていく過程などは楽しい。原作から大幅に離れて、一種のスーパーマンものに仕上げたのも、何よりまず面白く見てもらおうという意図から出たものだろう。だが、それにしても、飛躍が突飛すぎないか。芯になるのはあくまで列車増発を目的とする現実の運動なのだ。それが少女のような順子先生にひっかきまわされる結果となったのでは、身も蓋もない。順子先生のキャラクター作りが曖昧過ぎたのではないか。現実の列車増発運動という問題は、それだけで充分映画になったと思うが、スーパーマン順子先生の登場で、何か気勢を殺がれた感じになってしまった。真面目な意図に、せめてものユーモラスな発想を溶け込むか、またはその逆か、せっかくのアイデアだったが、結局は不発に終わった」などと評している[5]。近年も本音の物言いで活躍する美保純は[9]、当時の映画雑誌「シネ・フロント」(別冊10)で、「なんか変な映画ですよね。訴えるマトがあんまりしぼれてない感じで、非行問題なのか、国鉄問題なのか分からないのね」と述べている[5]


  1. ^ キネマ旬報』(キネマ旬報社)1984年10月下旬号 pp.172–173 「日本映画紹介」
  2. ^ 長野県の地域高校連絡会の経験から 「『地域高校』学習交流集会i n 十勝」での記念講演 中澤憲一先生〈前長野県高教組委員長)
  3. ^ 1997年の北陸新幹線長野開業に伴い、JRから経営分離されてしなの鉄道線となった。
  4. ^ 美保純twitter(2016年1月22日)
  5. ^ a b c 『キネマ旬報』(キネマ旬報社)1984年10月下旬号 p.152 押川義行「日本映画批評」
  6. ^ 『キネマ旬報』(キネマ旬報社)1984年10月上旬号 p.34 「グラビア」
  7. ^ a b c d e f g 映画秘宝』(洋泉社)2015年12月号 pp.76–77 「『ザ・スーパーガール』の世界 植田泰治インタビュー」
  8. ^ a b c d e f 『月刊シナリオ』(日本シナリオ作家協会)1984年12月号 p.124 井出俊郎/桂千穂〈ゲスト〉荒井晴彦 「映画をより面白く見る法(24)」
  9. ^ NHK幹部も本音?美保純の「ごごナマ」起用「ちょっと怖い気が…」


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