西端藩
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西端藩(にしばたはん[1])は、三河国碧海郡西端村(現在の愛知県碧南市湖西町付近)を居所として、江戸時代幕末期から廃藩置県まで存在した藩[2][1]。藩主家の本多家は、江戸時代初期より西端村の領主であり、三河国のほか各地に知行地を有する9000石[注釈 1]の大身旗本であった。1864年、10代領主・本多忠寛が天狗党の乱鎮圧のために志願して出兵したことなどが認められ、高直しを受けて1万500石の大名となった。本項目では本多家の旗本時代をあわせて扱う。
注釈
- ^ 1682年より。
- ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
- ^ 元和7年(1621年)に康俊が没すると俊次が家督を継承したが、翌元和8年(1622年)に膳所から転出する。しかしその約30年後、慶安4年(1651年)に俊次は膳所に復帰した。
- ^ 15組体制から10組体制に減員された。
- ^ 碧南市民図書館レファレンス[15]の「西端藩の領地がわかる資料はあるか(2012.8)」に対する回答。
- ^ 碧南市民図書館レファレンス[15]の「西端県の県庁はどこにあったのか(2011.5)」に対する回答。
- ^ 兄の本多俊次は『寛政譜』に「文禄四年小篠に生る」とある[4]。
- ^ 出典ページ[23]が引用する、竹田真砂子「振り返れば明日が見える2…銀杏は見ている」(『ここは牛込、神楽坂』第2号)、中井啓隆「本多横丁の変遷について」(『ここは牛込、神楽坂』第5号)の記述。
- ^ 切絵図など地図上には屋敷の主の名前が表記されるが、当時の人名のあり方として叙任した場合には官名(「対馬守」など)が名前となる。このため時期によって「本多対馬守屋敷」などと呼ばれる屋敷も同一である。なお「本多修理家」と呼ばれる家には福井藩家老の家(本多富正の子・本多正房を初代とし、特に幕末の本多釣月(敬義)が「本多修理」の呼称とともに知られる)などもあり、これらと混同されることがある。
- ^ 出典ページ[23]が引用する、中井啓隆「本多横丁の変遷について」(『ここは牛込、神楽坂』第5号)、籠谷典子『東京10000歩ウォーキング』の「新宿区 神楽坂・弁天町コース」の記述。
- ^ 出典ページ[23]が引用する、竹田真砂子「振り返れば明日が見える2…銀杏は見ている」(『ここは牛込、神楽坂』第2号)の記述。この記述は『牛込町誌1』(1921年)に基づくという。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “西端藩”. 角川日本地名大辞典. 2022年11月29日閲覧。
- ^ 二木謙一監修・工藤寛正編『国別 藩と城下町の事典』東京堂出版、2004年9月20日発行(351ページ)
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百八十四「本多」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.655。
- ^ a b c d 『寛政重修諸家譜』巻第六百八十四「本多」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.657。
- ^ a b c d e f g h 『寛政重修諸家譜』巻第六百八十五「本多」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.666。
- ^ a b c d “28年度3期「碧南の歴史と文化 西端藩村方文書」”. 碧南市. 2022年11月29日閲覧。
- ^ a b c “西端村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年11月29日閲覧。
- ^ “城ケ入村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年11月29日閲覧。
- ^ a b c d 『寛政重修諸家譜』巻第六百八十五「本多」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.667。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百八十五「本多」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.668。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 杉浦明(碧南市史資料調査員). “人物探訪 本多 忠鵬”. みかわこまち. 株式会社エムアイシーグループ. 2022年11月29日閲覧。
- ^ 『華族系譜195』, 87/126コマ.
- ^ 『華族系譜195』, 87-88/126コマ.
- ^ a b 『華族系譜195』, 88/126コマ.
- ^ a b “レファレンス事例集 愛知県・碧南市にに関するレファレンス”. 碧南市民図書館. 2022年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e 『高浜川水系河川整備計画』, p. 3.
- ^ “西端(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年11月29日閲覧。
- ^ a b c “小藩の跡を訪ねて 「三河国西端藩 1万500石」”. Yahoo! 地図ぶろぐ. Yahoo Japan. 2022年11月29日閲覧。
- ^ a b “油ケ淵”. 角川日本地名大辞典. 2022年11月29日閲覧。
- ^ a b 『房総における近世陣屋』, p. 16.
- ^ a b c d 『房総における近世陣屋』, p. 17.
- ^ (千葉)県史収集複製資料のp.9、近世44「江波戸家文書」の解説
- ^ a b c “神楽坂 本多横丁 由来”. てくてく 牛込神楽坂. 2022年12月1日閲覧。[信頼性要検証]
- ^ 国会図書館蔵『御府内往還其外沿革図書 十一』180コマ
- ^ 国会図書館蔵『御府内往還其外沿革図書 十一』180-186コマ
- ^ 中野明. “ボストン美術館が“至宝の絵巻”を所蔵するワケ〈誰が「国宝」を流出させたか〉”. デイリー新潮. 新潮社. 2022年11月29日閲覧。
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