藤田哲也 (気象学者)
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関連作品
- ブレイブ 勇敢なる者「Mr.トルネード~気象学で世界を救った男~(2016年5月2日、NHK)
- 水トク! 1番だけが知っている 各界の1番が魂震えたスゴイ日本人がいたぞSP (2017年11月22日 TBS) 森田正光が薦める『1番だけが知っているスゴイ日本人がいたぞSP』内での一人として紹介された。
- 福岡管区気象台 Fukuoka Regional Headquarters, JMA 1993年12月9日に福岡管区気象台で「台風とハリケーン」と題した講演が気象台職員向けに行われ、当時の撮影映像が同気象台に残されていた。2022年3月24日に講演の概要が福岡管区気象台ホームページの「気象の知識 - 藤田哲也博士の講演動画」で紹介され[10]、講演動画がyoutubeで公開された。[11]
書籍
- Mr.トルネード 藤田哲也 世界の空を救った男, 佐々木 健一 著, 文藝春秋刊, 2017/6/19
- 嵐の正体にせまった科学者たち 第27章テツヤ・テオドール・フジタ, J. D. Cox著, 堤 之智訳, 丸善出版, 2013, ISBN 978-4-621-08749-7.
脚注
参考資料
- 「竜巻研究の父、藤田哲也」(『ニッポン天才伝─知られざる発明・発見の父たち』上山明博 ,朝日選書,2007年)
- 「ミスター・トルネードの残した名言─藤田哲也」(『ニッポン発明物語』上山明博 ,Kindle版,2014年)
- 特集 世界が尊敬する日本人 藤田哲也(気象学者)ニューズウィーク日本版
- 北九州大辞典“世界に誇る気象学者”藤田哲也
- 竜巻研究は日本人がリードしてきた (5月22日) - MSN産経west
- 米巨大竜巻災害で世界のメディアが伝えた“ある日本人”の名:日経ビジネスオンライン
- “追跡人”は、なぜ命をかけてまで「竜巻」を追うのか:日経ビジネスオンライン
- 「藤田スケール」 尺度をつくるってなんだ? - ダイヤモンド・オンライン
- 気象庁 藤田(F)スケールとは
- 『毎日新聞』 2013年05月11日 「竜巻 「Fスケール」藤田博士の偉業紹介へ 教え子が企画」
- 『毎日新聞』 2013年05月11日 「竜巻:Fスケールの偉業紹介 世界的権威、北九州出身・藤田哲也博士 出前授業、教え子が企画」
- 『毎日新聞』 2012年05月07日 「ことば:藤田(F)スケール」
- 『博多に強くなろう 北九州に強くなろう 100の物語』 下巻、2018/11/22、西日本シティ銀行、P99、「世界の竜巻博士 藤田哲也」(Web版は「No.18 世界の竜巻博士 藤田 哲也」)
関連項目
注釈
- ^ 藤田に気象界のウォルト・ディズニーというニックネームを命名したのは、同じ時期にアメリカ合衆国に渡り、2021年ノーベル物理学賞を受賞した眞鍋淑郎であるという[1]。
出典
- ^ "余録 竜巻の強さを示すフジタスケールで有名な気象学者…". デジタル毎日. 毎日新聞社. 14 December 2021. 2021年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 西日本シティ銀行『博多に強くなろう 北九州に強くなろう 100の物語 下巻』西日本シティ銀行、西日本新聞社、2018年11月。ISBN 978-4-8167-0961-6。OCLC 1078621915 。
- ^ 『博多に強くなろう 北九州に強くなろう 100の物語』 下巻、2018/11/22、西日本シティ銀行、P99、「世界の竜巻博士 藤田哲也」には、以下の記述がある。 「脊振山にあるアメリカのレーダー基地が測候所と隣接していたのですね。その基地でごみ箱に捨てられた紙くずの中にバイヤース教授の下降気流の原点となった論文があって、たまたまそれを見つけた気象台の職員さんが博士に渡してくれたのです。博士は、アメリカでも同じ研究が進められていることを知って、脊振山の雷雲の断面図を添えた英文のデータを教授に送った。」
- ^ The Tornado: Nature?s Ultimate Windstorm April 15, 2001 by Thomas P. Grazulis (Author) <quote> In postwar Japan physics teacher Tetsuya Fujita was working on detailed mapping of typohoons and thunderstorms. He became aware of Horace Byers's Thunderstorm Project after finding the project report in the wastebasket of a U.S. Air Formce radar station on Mount Seburiyama. Fujita contacted Byers and sent him a sample of his work on Japanese thunderstomrs. Byers was impressed with Fujita's uncanny ability and insight into weather analysis on the local or meso-scale. Byers invited Fujita to the United States and became his mentor at the University of Chicago in the early 1950s. <unquote>
- ^ 工学部電気工学科。卒業後は陸軍の気象連隊で気象学を幹部候補生に教授。戦後は中央気象台(後の気象庁)に所属し、長崎海洋気象台(現在の長崎地方気象台)に勤務
- ^ Kazuo ishiguro no nagasaki. Hirai, Kyōko, 1946-, 平井 杏子, 1946-. Nagasaki: Nagasakibunkensha. (2018.3). ISBN 9784888512916. OCLC 1035938967
- ^ 被爆直後の長崎写した37枚 竜巻研究の藤田氏が撮影か、朝日新聞2013年10月25日
- ^ 『博多に強くなろう 北九州に強くなろう 100の物語』 下巻、2018/11/22、西日本シティ銀行、P99、「世界の竜巻博士 藤田哲也」から。
「アメリカの気象専門誌「ストームトラック」は博士を惜しむ、学界の人たちの声を載せて、博士の成果と人柄をたたえています。」
「彼との出会いは、ローマ法王との出会いに等しかった。彼の暴風科学に対する影響は計り知れない。彼のいない世界は少しつまらないものになるだろう。」
「フジタは、私がこれまで出会った中でおそらく最も独特の才能を持つ人物だった。彼と共に働けたのは並外れた幸運だった。」 - ^ “藤田記念館ニュース 「ある気象学者の一生」復刻” (2001年5月22日). 2017年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月24日閲覧。
- ^ https://www.jma-net.go.jp/fukuoka/gyomu/osirase/20220324_fujita.pdf
- ^ https://www.youtube.com/watch?v=rvrUCRT7EdY
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