織田憲子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 02:46 UTC 版)
織田憲子 Noriko ODA |
経歴
3歳からバレエを始め、子どものころはバレリーナになるのが夢であった。スケートを小学校5年生ころから始めた。 [1] 大阪女学院高校時代にはインターハイに出場するなどフィギュアスケート選手として活躍し、追手門学院大学卒業後にバレエ講師となる。結婚後の1978年より指導を請われ高槻市にあるスケートクラブのコーチに就任。 2005年の世界ジュニアフィギュアスケート選手権で自身の指導する信成が優勝したため、文部科学省から国際競技大会優秀者表彰を指導者の部で受けた[2]。 現在は日本スケート連盟特別強化選手コーチに就任し、関西大学アイススケート部コーチとして息子の織田信成の専任コーチとなっている。
外部リンク
- ^ 織田信成 四大陸選手権男子シングル優勝! 織田憲子コーチインタビュー(1) - ウェイバックマシン(2006年2月3日アーカイブ分) 2006年02月01日 @nifty:Sports@nifty:フィギュアスケート特集
- ^ 国際競技大会優秀者一覧 文部科学省 - ウェイバックマシン(2010年12月6日アーカイブ分)
- 1 織田憲子とは
- 2 織田憲子の概要
固有名詞の分類
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