箕島対星稜延長18回
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 14:26 UTC 版)
その他
- 翌1980年の和歌山県予選大会準決勝戦でも箕島は、熊野高校を相手に取られては取り返す同様の死闘を展開し、延長15回の末2対3でサヨナラ勝ちを果たしている。
- 39年後の2018年夏に開催された第100回全国高等学校野球選手権記念大会では、同年8月6日の甲子園レジェンド始球式に石井毅が登場。そのエスコート役に、当日第一試合で球審を務める堅田外司昭と参加し、始球式終了後の元両エースは笑顔で握手を交わしていた[14]。
脚注
外部リンク
注釈
- ^ 当時2年生だった、後の大相撲力士の栃乃和歌清隆も、箕島入学時に野球部入部を志望していたが、志望者の多さゆえに、尾藤監督から「お前、相撲部へ行け!」と言われたという。
- ^ ローカルニュースの『6時です たいむ6』→全国ニュース『ANNニュースレーダー』。
- ^ この日は木曜日だったので、19時から『クイズタイムショック』、19時30分から『三枝の国盗りゲーム』というラインナップであった。
- ^ 北陸朝日放送(HAB)は1991年開局である。またHABと長野朝日放送(abn)が1991年に開局に至るまで、ANNのフル系列局は北陸・信越地方には存在していなかった(テレビ信州はNNN/NNSとの2系列、新潟総合テレビはFNN/FNS・NNN/NNSとの3系列クロスネットであった)
- ^ JNN加盟局。
出典
- ^ 日本海新聞平成22年9月24日付
- ^ 朝日新聞1979年8月17日19面「箕島強運、二度生き返る 二死から本塁打 土壇場で地力サヨナラ勝ち」朝日新聞縮刷版1979年8月p537
- ^ 読売新聞1979年8月17日17面「強運ナインに監督も涙」読売新聞縮刷版1979年8月p549
- ^ 毎日新聞1979年8月17日15面「死闘18回 箕島サヨナラ」毎日新聞縮刷版1979年8月p467
- ^ 朝日新聞1979年8月17日23面「奇跡の連続 "逃げ水"ウイニングボール 同点ホーマー・隠し玉・邪飛ポトリ 箕島星稜 完全燃焼、わく甲子園」朝日新聞縮刷版1979年8月縮刷版p541
- ^ 北國新聞1979年8月17日1面「星稜 無念の18回裏 高校野球史飾る激闘3時間50分 春の覇者箕島に3-4」北國新聞縮刷版1979年8月p433
- ^ 北國新聞1979年8月17日11面「気力の208球 堅田力尽きる 3度の先制点守れず 箕島・奇跡の2発に泣く」北國新聞縮刷版1979年8月p443
- ^ 北國新聞1979年8月17日10面「再試合目前 非情な幕切れ 『勝ちたかった・・』と涙」北國新聞縮刷版年8月p442
- ^ 北國新聞1979年8月17日19面「最後まで信じた星稜の勝利 ナイターの下 執念の攻防」北國新聞縮刷版8月p451
- ^ 北國新聞1979年8月17日18面「名勝負に県民酔う テレビにくぎづけ 夕食も忘れて声援」北國新聞縮刷版1979年8月p450
- ^ 祭壇にあの笑顔 箕島高元監督・尾藤さん葬儀に600人高校野球総合ニュース(朝日新聞・2011年3月9日)
- ^ 朝日新聞デジタルバーチャル高校野球「甲子園ベストゲーム47:和歌山編」では、視聴率は30.6%(関東地区=ビデオリサーチ調べ)、記事が掲載された2017年10月6日現在における歴代1位、と謳われている。
- ^ 奇跡は2度起った ―思い出の名勝負―(3)「箕島」対「星稜」 ~昭和54年・全国高校野球選手権大会~ NHKアーカイブス
- ^ 球審として見守った昔の好敵手 毎試合が「最高試合」に - 『高校野球:朝日新聞デジタル』2018年8月6日21時07分
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