第1映画部隊 (アメリカ軍)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/15 10:15 UTC 版)
映画製作
第1映画部隊が最初に手がけたプロジェクトは、飛行訓練補助用映画『Learn and Live』(学び、生きよ)だった。この映画は「パイロットの天国」を舞台としており、長編映画のスターだった俳優ガイ・キビーが聖ペトロ役で主演した。劇中では正しい飛行技能を示す為、初歩的な12つのミスについて解説される[8][9]。
『Resisting Enemy Interrogation』(尋問への抵抗)は、ドキュメンタリー作家グレゴリー・オアによって第二次世界大戦中に制作された「最高の教育映画」と評された。『Resisting Enemy Interrogation』では、捕虜となった2人の飛行士を中心に物語が展開し、彼らはドイツ軍が駐屯するシャトーにて尋問を受けることになる。1944年度アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされている[3][9]。
セルアニメは第1映画部隊において不可欠な技術となっていた。技術上あるいは機密保持上の理由から実写撮影が不可能なシーンはアニメーションで描写された。ある訓練映画では、主人公のパイロットがスラスト、グラビティ、ドラッグというキャラクターの力を借りて飛行技能を身に付ける。このキャラクターは飛行中の航空機に働く力(推力、重力、抗力)を表現したものだった[11]。迷彩塗装に関する教育映画には、ミスター・カメレオン(Mr. Chameleon)なるキャラクターが登場した[12]。『Position Firing』(射撃姿勢)には、航空機銃手のトリガー・ジョー(Trigger Joe)なるキャラクターが登場した。トリガー・ジョーはユーモラスな描写でありがちな失敗を紹介しつつ、射撃技術に関する技能教育を行うアニメーション作品だった。この作品に関し、ある航空機銃手は「『Position Firing』みたいな映画がもっと必要だ。理論を単純明快にする上、我々を飽きさせない。それにトリガー・ジョー!彼は最高だ!」と語った。その後、ジョーは航空機銃手に関する全てのアニメーション作品で主人公を務めた[13]。アニメーション部の部長は『ルーニー・テューンズ』や『メリー・メロディーズ』の作者の1人ルドルフ・アイジングで、その他にも「ナイン・オールドメン」の1人であるフランク・トーマスなど当時の有名アニメーターらが数多く在籍していた[12]。
日本本土空襲
第1映画部隊に課された最も重要な任務の1つは、対日空襲作戦に用いる誘導資料および地形資料を作成することだった。この任務は極秘扱いとされ、一連のフィルムは「第152特殊映画計画」(Special Film Project 152)のコードネームで呼ばれていた。グレゴリー・オアは、「恐らく、第1映画部隊に課された最も重要かつ困難な試みだった」と評している。第1映画部隊はB-29爆撃機乗員向けの資料映像を制作することとなり、40日の期間が与えられた[9]。
1944年、太平洋戦線に展開するアメリカ軍は日本本土に対する攻撃準備に着手した。一連の爆撃計画は第20空軍に託されたが、彼らは航路や標的を決定するための情報を欠いていた。オアはこれについて次のように述べている。
全てのランドマーク、チェックポイント、進入地点、投下地点……全てのレーダー拠点、港湾内の全ての日本海軍艦艇、全ての鉄道、建築物、森林、水田……こうしたものは晴天なら肉眼で目視しなければならなかったし、また曇天でもレーダー越しに確認できなければならなかった[9]
第1映画部隊は日本の地理に関する調査研究を経て、爆撃対象地域を再現した面積80x60フィート(24x18m)、縮尺1フィート:1マイルの巨大なジオラマを制作した。このジオラマでは山岳や建築物、鉄道、水田などの地形が再現され、雲や霧が描き込まれていた。撮影には専用の固定式オーバーヘッドカメラが用いられた。このカメラはモーター駆動式で、航路に沿って動かすことで対象地域上の飛行をシミュレートすることができた。『The New York Sun』紙によれば、カメラの映像は高度30,000フィートからB-29爆撃機乗員が目にする光景を再現したものだった[14]。第20空軍の将兵はこの特殊映画を用いることで標的を容易に発見し、ジオラマの精密・正確さに驚いていたという[9]。アーノルドは第20空軍による爆撃成功の後、特殊映画に関して「危険な任務に従事する者達へのブリーフィングを行うにはこれほど便利なものはない」と語った[14]。
ヨーロッパの爆撃評価
1945年5月にナチス・ドイツが降伏すると、アーノルドはクランプに対し、爆撃による被害程度を調査して報告するように命じた。この調査計画は「第186特殊映画計画」(Special Film Project 186)のコードネームで呼ばれた。クランプと彼の部下はカラーフィルムを用いてヨーロッパ各地の主要都市で爆撃被害の調査を実施した。また、元ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥らを始めとする連合国軍側が確保した旧ナチス・ドイツ要人のデブリーフィングを記録したほか、オールドルフやブーヘンヴァルトなどの強制収容所をアメリカ軍人が解放する様子もクランプのクルーによって撮影されている。後に脚本家マルヴィン・ワルドは収容所に関するフィルムを最初に見た時を回想し、「夏の日だったが、それにも関わらずレーガンは震えて出てきた──皆そうなった。我々はああいうものを目にしたことがなかった」と語った[3]。
クランプらによる撮影時間は合計100時間分にもなったが、その大半は人の目に触れることはなかった。制作コストは100万ドルと見積もられており、これを受けた航空軍が資金の提供を拒否したためである。後に制作されたドキュメンタリー作品『The Story of Special Film Project 186』において、この計画は「第二次世界大戦における最大のカラーフィルム撮影計画と、史上最長の未使用フィルム」と評された[15]。
- ^ a b c d e f g Cunningham, Douglas (Spring 2005). "Imaging/Imagining Air Force Identity: 'Hap' Arnold, Warner Bros., and the Formation of the USAAF First Motion Picture Unit". The Moving Image. Accessed 2012-05-29.
- ^ a b c d e f g George J. Siegel. “Hollywood's Army”. The California State Military Museum. 2012年6月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k Mark Betancourt (March 2012). “World War II: The Movie”. Air & Space 2012年6月22日閲覧。.
- ^ a b c “Oral History with Owen Crump”. Academy of Motion Picture Arts and Sciences (1944年7月29日). 2012年6月22日閲覧。
- ^ “Movie Room Schedule”. Mid-Atlantic Nostalgia Convention. 2012年6月22日閲覧。
- ^ a b Harmetz, Aljean (2002). The Making of Casablanca: Bogart, Bergman, and World War II. Hyperion. ISBN 0786888148
- ^ Warner Sperling, Cass; Millner, Cork; Jack Warner (1998—edition 2, reprint) [tbd]. Hollywood be thy name: the Warner Brothers story. University Press of Kentucky. p. 248. ISBN 978-0-8131-0958-9 2009年4月10日閲覧。
- ^ a b c d e f Richard O'Connor (April 1945). “AAF Film Unit”. Flying 2012年6月22日閲覧。.
- ^ a b c d e f g h “Hollywood Commandos”. Gregory Orr Productions. 2012年6月22日閲覧。
- ^ “During WWII, Star Soldiers Did Celluloid Service”. Daily News (1997年5月22日). 2012年6月22日閲覧。
- ^ William R. McGee (February 1944). “Cinematography Goes to War”. Journal of the Society of Motion Picture Engineers 2012年6月22日閲覧。.
- ^ a b c d Patricia Ward Biederman (2011年1月26日). “Winning the war, one frame at a time”. Los Angeles Times 2012年6月22日閲覧。
- ^ Alex Greenberg; Malvin Wald (July 1946). “Report to the Stockholders”. Hollywood Quarterly 2012年6月22日閲覧。.
- ^ a b “Hollywood Briefed B-29 Bombers on Japan”. The New York Sun. (1945年9月20日) 2012年6月22日閲覧。
- ^ “The Story of Special Film Project 186”. Motion Video Inc.. 2012年6月22日閲覧。
- ^ Susan King (1997年5月18日). “Silver Screen's Role in WWII”. Los Angeles Times 2012年6月22日閲覧。
- ^ “The USAAF's Famed Fort Roach”. Aerofiles. 2012年6月22日閲覧。
- ^ Veterans Day-Related Programs at the National Archives in November (2008年10月31日). “Veterans Day-Related Programs at the National Archives in November”. U.S. National Archives and Records Administration. 2012年6月22日閲覧。
- ^ “"Keep ’em Flying!": Films of the U.S. Army Air Forces First Motion Picture Unit”. UC Regents (2007年11月10日). 2012年6月22日閲覧。
- ^ Doug Cunningham (2008). “Military Intelligence and You: An Interview with Dale Kutzera”. Cineaste Magazine 2012年8月1日閲覧。.
- ^ a b “"Keep ’em Flying!": Films of the U.S. Army Air Forces First Motion Picture Unit”. UC Regents (2007年11月10日). 2012年6月22日閲覧。
- 第1映画部隊 (アメリカ軍)のページへのリンク