秋月城 (紀伊国) 概要

秋月城 (紀伊国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/08 23:40 UTC 版)

概要

延徳年間(1489 - 1492年)に国造紀俊連が日前神宮・國懸神宮保護のために築き、飯垣周防守に守らせたと言われるが、文明年間(1469 - 1487年)の築城という説もある[1]

戦国時代には太田党の支城として役割を果たしたが、1585年天正13年)の豊臣秀吉紀州攻めにより廃城となる。

城は平城和歌山県道145号(通称宮街道)が横切っているため、城址はほとんど残っていない。わずかに曲輪跡がわかる程度。規模は東西20メートル、南北54メートル[1]

関連項目


  1. ^ a b 日本城郭大系』 10巻、新人物往来社、1980年、458頁。 


「秋月城 (紀伊国)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「秋月城 (紀伊国)」の関連用語


2
32% |||||


4
14% |||||




秋月城 (紀伊国)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



秋月城 (紀伊国)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの秋月城 (紀伊国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS