祐子内親王 (後朱雀天皇皇女) 祐子内親王 (後朱雀天皇皇女)の概要

祐子内親王 (後朱雀天皇皇女)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/14 03:17 UTC 版)

生後2ヶ月で内親王宣下を受ける。母后・嫄子の死後は頼通に養育され、長久元年(1040年)10月に着袴と共に准三宮。頼通とともに高倉第に住んでいたため、高倉一宮あるいは高倉殿宮と呼ばれた。延久4年(1072年出家承保元年(1074年)、甥・白河天皇から二品を授けられたが辞退した。長治2年(1105年)11月7日、68歳で薨去。

祐子内親王は歌合を盛んに催すなど一大サロンを形成し、歌人祐子内親王家紀伊菅原孝標女などが仕えたことで知られる。




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